第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』(村田紗耶香)を今回は、居場所という観点から読んでみる。
8月7日に、第1回『居場所』サミットin神戸が開催された( 関連:8/10 (595) )。そこでは、居場所を次のように定義している。
『居場所』とは
人々が交流を目的として集まる場所で、
気兼ねなく自分を解放してくつろげる場所。
じぶんが居ることを認められている場所。
あるいは役割のある場所。
私は、「居場所」を次のようにイメージしている。
(1)
居場所は、「くつろぎ」「安心」「救い」「楽しさ」「創造」等々、様々な可能性を秘めた場所である
(2)
それらは、居場所に行けば自動的に与えられるものではない。自分で勝ち取るものである
(3)
自分一人で勝ち取るのではない。他の参加者とともに創りあげ、勝ち取るものである。秘められた可能性を現実のものにするのは、我々である
(4)
「他の参加者」は、「私にとっての可能性」を実現する手助けをしてくれる人々である。ただし、それだけではない
(5)
「彼らにとっての可能性」を実現するために私が手助けをする、「他の参加者」はその対象でもある
(6)
「私にとっての可能性」と「彼らにとっての可能性」とは一致しているとは限らないし、そもそも固定せず変容していくものである。意識しないと捉えられない、意識してもなかなか捉えられない。常に問い続ける
前置きはこの程度にし、本題に移る。
①
幼稚園のころから大学に進学するまで、居場所はなかった、それでも安定した日々を送っていた
②
大学一年生のとき、コンビニという居場所を見つけた。しかし、それは、社員でいる間であり、コンビニを離れると居場所はなかった
③
白羽さんを「家で飼い、餌を与える」ようになった。「何故、結婚しないの」という問は止み、コンビニ外の生活の場が、居場所として改善された
④
コンビニを辞め、就職活動を始めた。コンビニという居場所を失った。それに替わる居場所はなかった
⑤
トイレに行っておこうかとコンビニに入った。そこは私の居場所だった
<詳細な説明>
①
幼稚園のころから大学に進学するまで、居場所はなかった。それでも安定した日々を送っていた
「自分が何かを修正しなければならないのだな、と思ったのを覚えている」(P.412)。
家族は私を大切にし、愛してくれていた。
学校で友達はできなかったが、特に苛められるわけでもなかった。
②
大学一年生のとき、コンビニという居場所を見つけた。しかし、それは、社員でいる間であり、コンビニを離れると居場所はなかった
③
白羽さんを「家で飼い、餌を与える」ようになった。「何故、結婚しないの」という問は止み、コンビニ外の生活の場が、居場所として改善された
「結婚も就職もしていないなんて、社会にとって何の価値もない。そういう人間はね、ムラから排除されますよ」(P.456)という状況から脱却する。
「皆、初めて私が本当の「仲間」になったと言わんばかりだった」(P.459)
コンビニを辞めてから、私は朝何時に起きればいいのかわからなくなり、眠くなったら眠り、起きたらご飯を食べる生活だった。白羽さんに命じられるままに履歴書を書く作業をする他には、何もしていなかった。何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなっていた」(P.475)
「私はふと、コンビニという基準を失った今、動物としての合理性を基準に判断するのが正しいのではないか、と思いついた」(P.477)
⑤
トイレに行っておこうかとコンビニに入った。そこは私の居場所だった
「一緒には行けません。私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」(P.482)
引用 / 上記ページ数は、以下の本による
村田紗耶香、「コンビニ人間」、文芸春秋(第94巻 第13号)、2016/9
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