第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』(村田紗耶香)が、音で始まり音で終わる小説であり、かつ要所で音がちりばめられていることは、前回述べた。しかし、音は主テーマとはなりえず、脇役である。
「今のままの私ではいけない、という思い」が、小説の主テーマであると私は考えた。この思いを背負いながら人生を歩むのは、辛く重いものである。主人公(古倉)がこの課題にどう対峙していったかという観点から読み解くと、この小説は美しい起承転結構造からなっていることに気づく。
○ 起: コンビニ店員として生まれる前 (P.409 ~)
○ 承: コンビニ店員として、小康状態 (P.413 ~)
○ 転: 白羽さんの出現により均衡が崩れ、コンビニ店員を退職 (P.426 ~)
○ 結: 再び、コンビニ店員に戻る決意 (P.479 ~)
● 起: コンビニ店員として生まれる前 (P.409 ~)
幼稚園のころから大学入学まで。
主人公は、自分の考えで行動するが、何故か問題児扱いされ、そのことに気づく。
父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなければならないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの支持に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた(P.412)
「どうすれば『治る』のかしらね」。母と父が相談しているのを聞き、自分は何かを修正しなければならないのだなあ、と思った(P.412)
そのままでは社会に出られないと、母も父も心配した。私は「治らなくては」と思いながら、どんどん大人になっていった(P.413)
● 承: コンビニ店員として、小康状態 (P.413 ~)
大学一年生の時、コンビニにアルバイトとして採用された。
コンビニのオープン初日。「古倉さん、すごいね、完璧!」 … そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだ。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった(P.416)
完璧なマニュアルがあって「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱり分からないままだった(P.417)
朝になればまた私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった(P.417)
今の「私」を構成しているのはほんかど私のそばにいる人たちだ。三割は泉さん、三割は菅原さん、二割は店長、残りは半年前に辞めた佐々木さんや一年前までリーダーだった岡崎君のような、過去のほかの人たちから吸収したもので構成されている(P.419)
● 転: 白羽さんの出現により均衡が崩れ、コンビニ店員を辞める (P.426 ~)
店を辞めさせられた白羽さんの姿が浮かぶ。次は私の番なのだろうか。正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人たちに削除されるんだ。家族がどうしてあんなに私を治そうとしてくれているのか、やっとわかったような気がした(P.445)
皆が不思議がる部分を、自分の人生から消去していく。それが治るということかもしれない。ここ二週間で14回「何で結婚しないの?」と言われた。「何でアルバイトなの?」は12回だ。とりあえず、言われた回数が多いものから消去していってみようと思った。私はどこかで、変化を求めていた。それが悪い変化でもいい変化でも、膠着状態の今よりましなのではないかと思えた(P.451)
そうか。叱るのは、「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も起こっていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいる方が、妹はずっと嬉しいのだ。そのほうがずっと妹にとって理解可能な、正常な世界なのだ(P.468 – P.469)
白羽さんを「家に飼い」、「餌を与え」はじめた。
皆、初めて私が本当の「仲間」になったと言わんばかりだった。ことら側へようこそ、と皆が私を歓迎している気がした。今までは私は皆にとって、「あちら側」の人間だったんだなと、痛感…(P.459)
コンビニを辞め、就職活動をはじめた。
コンビニを辞めてから、私は朝何時に起きればいいのかわからなくなり、眠くなったら眠り、起きたらご飯を食べる生活だった。白羽さんに命じられるままに履歴書を書く作業をする他には、何もしていなかった(P.475)
● 結: 再び、コンビニ店員に戻る決意 (P.479 ~)
気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです(P.481)
誰に許されなくても、私はコンビニ店員です。人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたは全く必要ないんです(P.482)
「承」でも「結」でも、主人公はコンビニ店員であるが、元に戻ったのではなく、生まれ変わった。
「今のままの私ではいけない」か否かの問題ではない。「今のままの私ではいけない、という思い」を持つか否かの問題である。
「承」のコンビニ店員は、マニュアルにより勤務時間中は店員となり、正常な部品になった。他者を自分の中に取り入れることにより、普通の人となった。自分から遊離し、周囲の影響を受けていた。
「結」のコンビニ店員は、素のコンビニ店員のままであり、周囲が気にならなくなった。
「今のままの私ではいけない」という問題を解決できたのではない。「今のままの私ではいけない、という思い」から自由になったのである。
引用 / 上記ページ数は、以下の本による
村田紗耶香、「コンビニ人間」、文芸春秋(第94巻 第13号)、2016/9
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