第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』(村田紗耶香)を読んで私の印象に残ったのは、音である。
こういう読み方をした人は、少ないのではないか。
でも、私は、音が気になった。
現場のプロと一般人の差の一つは、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の使い方だ。一般人は視覚に頼りがちだが、現場のプロは、五感を満遍なく使うか、どれかを突出して使う。作者が聴覚に強いのは、冒頭に示されているし、その後も随所に出てくる。
一般に、複数の音が同時に聞こえてくると処理が難しいので、雑踏の中で会話するとき、自動的にフィルターが入り、聞きたい人の声以外を消し去る。この自動反応を解除しなければその他の音を聞き取れない。一方、聞き取れると、入ってくる複数の音を同時処理しなければならず、これも又難しい。
冒頭にある聴覚による描写は、作者自身の耳で聞かないと書けないだろう。ベテラン「コンビニ人間」の何%がこの音を聞いているのか、知りたいと思った。
(P.406 - P.407)
この小説は、音で始まる。
「コンビニエンスストアは、音で満ちている」
以後も、要所で音が出てくる。
(P.415)
訓練を経て、コンビニがオープンした。
「店の中で行う「声かけ」も、実際に「お客様」がいる店内では、全く違う響きで反響した」
(P.417)
コンビニでのアルバイトが定着してきた。
「「いらっしゃいませ!」という自分の声で夜中に起きることもある」
(P.421)
コンビニで働くのが好きだ。
「「いらっしゃいませ、おはようございます!」 この瞬間がとても好きだ。自分の中に、「朝」という時間が運ばれてくる感じがする」
(P.427)
同じ職場でいると、喋り方が似てくる。
「声のトーンは全く違うものの、店長も泉さんと同じように語尾を伸ばして喋る癖がある」
(P.445)
友人たちとの会話で、自分が異物になっていると思った。
「なんとなくコンビニの音が聴きたくなり、ミホの家の帰り、夕方の店に顔を出した」
(P.449)
コンビニで働き続けることが、揺らいできた。
「コンビニと一緒で、私たちは入れ替わっているだけで、(縄文時代から)ずっと同じ光景を続けているのかもしれない。常連の女性客の、「変わらないわね」という言葉が、頭の中で反響した」
(P.455)
白羽さんが部屋に泊まり込むことになった。
「時折、ごそり、ごそり、という白羽さんのたてる音が聞こえてきたが、だんだんと頭の中にあるコンビニの音のほうが強くなり、いつのまにか眠りの中に吸い込まれていった」
(P.464)
白羽さんと奇妙な同棲が始まった。コンビニにはまだ勤めている。
「目を閉じて店を思い浮かべると、コンビニの音が鼓膜の内側に蘇ってきた」
(P.465)
コンビニに居づらくなってきた。
「店の「音」には雑音が混じるようになった。皆で同じ音楽を奏でていたのに、急に皆がバラバラの楽器をポケットから取り出して演奏を始めたような、不愉快な不協和音だった」
(P.472)
コンビニを辞めることにした。
「今でずっと耳の中で、コンビニが鳴っていたのだ。けれど、その音が今はしなかった」
(P.479 - P.481)
コンビニに復帰した。
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
(P.482)
この小説は、音で始まり、音で終わっている。
「私の細胞全てが、ガラスの向こうで響く音楽に呼応して、皮膚の中で蠢いているのをはっきり感じていた」
引用 / 上記ページ数は、以下の本による
村田紗耶香、「コンビニ人間」、文芸春秋(第94巻 第13号)、2016/9
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