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2016年5月14日土曜日

(508) 「五輪書」(3)状況を見きわめ、活路を開け!(1/2) (5月16日(月) 22:25- Eテレ放送)


「火の巻」:「一分の兵法」から「大分の兵法」に通じる理を書き記したもの

 「一分(イチブン)の兵法」:一人で戦う剣術の兵法
  「大分(ダイブン)の兵法」:千人・万人で戦う合戦の兵法

 
「火の巻」本文は27箇条からなるが、ほぼ三つに分けられる

 第14条:剣術だけに即して書かれていて、武蔵の戦い方の根本的なとらえ方
 第520条:各条で「一分の兵法」と「大分の兵法」の内容を並行的に論じている
 第2127条:大分・一分の兵法を特に分けることなく、戦いの心構えを書いている

 
 本巻の結びで武蔵は、絶えず考えていることのみを書いたが、それを整理して示すのは難しいと述べている。

 
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 私は、ここまでで、感動してしまいました。

 そして、武蔵が何をどのように考え、どのように整理しようとしたかを想像しました。妄想かも知れません。でも、私は確信しています。

 
読む方は、とりあえず妄想としてお読みください(その前提で、私は断定形で書きます)。最後に妄想かどうか、想像してください。

 
私の「妄想」に付き合ってもよいと思う方は、以下へ読み進めてください。

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  武蔵は先ず、「絶えず考えていること」を書き並べ、途方に暮れた。どう整理して良いか分からないが、箇条書きにする訳にもいかない。一人で戦う剣術に関するものもあれば、多数で戦う合戦に関するものもある。本質的なものもあれば、表面的なものもある。

 
とりあえず、「剣術」「合戦」という言葉で整理しようとしたが、それではどちらにも入れにくいものがあった。「一対一の戦い」「合戦」という言葉で整理しようとしたが、それでもすっきりしなかった。「一分の兵法」「大分の兵法」という言葉を創り整理することにした。「それでも分けられないもの」が残ったが、それで良しとした

 
 「一分の兵法」として箇条書きしたものと、「大分の兵法」として箇条書きしたものとを並べてみると奇妙なことに気付いた。対応するものが多くある。対応するものを対にして、共通のコンセプトを見出いすと、そこでは表面的なもの削がれて、本質的なものが抽出されていた。

 中には、一方にあって、一方にないものもあった。その場合には、ある方を手がかりとして、ない方の空白をうめた。このようにして「一分の兵法」と「大分の兵法」との対を次々と完成させた。

 
 各々の対において、共通概念で整理し、大分の兵法においては、一分の兵法においては、という塊を作っていった。それが第520条である。

 さて、残った「それでも分けられないもの」は、剣術に関するものと、戦いの心構えに分けて整理することにした。前者が第14条となり、後者が第2127条になった。

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  なぜ、執拗にここまで書いたのか。

 
 複雑でつかみどころのないところから、コンセプトを抽出し、本質に迫っていくために、武蔵が辿ったプロセスを私は書いたつもりである。

  このプロセスを学ぶことは、複雑でつかみどころのないところから、コンセプトを抽出し、本質に迫っていこうとするときに、役立つと私は思っている。

 
独りよがりの妄想だと思われるかもしれない。致し方ない。見解の違いである。

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