「火の巻」:「一分の兵法」から「大分の兵法」に通じる理を書き記したもの
「一分(イチブン)の兵法」:一人で戦う剣術の兵法
「大分(ダイブン)の兵法」:千人・万人で戦う合戦の兵法
「火の巻」本文は27箇条からなるが、ほぼ三つに分けられる
第1~4条:剣術だけに即して書かれていて、武蔵の戦い方の根本的なとらえ方
第5~20条:各条で「一分の兵法」と「大分の兵法」の内容を並行的に論じている
第21~27条:大分・一分の兵法を特に分けることなく、戦いの心構えを書いている
本巻の結びで武蔵は、絶えず考えていることのみを書いたが、それを整理して示すのは難しいと述べている。
私は、ここまでで、感動してしまいました。
そして、武蔵が何をどのように考え、どのように整理しようとしたかを想像しました。妄想かも知れません。でも、私は確信しています。
読む方は、とりあえず妄想としてお読みください(その前提で、私は断定形で書きます)。最後に妄想かどうか、想像してください。
私の「妄想」に付き合ってもよいと思う方は、以下へ読み進めてください。
とりあえず、「剣術」「合戦」という言葉で整理しようとしたが、それではどちらにも入れにくいものがあった。「一対一の戦い」「合戦」という言葉で整理しようとしたが、それでもすっきりしなかった。「一分の兵法」「大分の兵法」という言葉を創り整理することにした。「それでも分けられないもの」が残ったが、それで良しとした
「一分の兵法」として箇条書きしたものと、「大分の兵法」として箇条書きしたものとを並べてみると奇妙なことに気付いた。対応するものが多くある。対応するものを対にして、共通のコンセプトを見出いすと、そこでは表面的なもの削がれて、本質的なものが抽出されていた。
中には、一方にあって、一方にないものもあった。その場合には、ある方を手がかりとして、ない方の空白をうめた。このようにして「一分の兵法」と「大分の兵法」との対を次々と完成させた。
各々の対において、共通概念で整理し、大分の兵法においては、一分の兵法においては、という塊を作っていった。それが第5~20条である。
さて、残った「それでも分けられないもの」は、剣術に関するものと、戦いの心構えに分けて整理することにした。前者が第1~4条となり、後者が第21~27条になった。
複雑でつかみどころのないところから、コンセプトを抽出し、本質に迫っていくために、武蔵が辿ったプロセスを私は書いたつもりである。
独りよがりの妄想だと思われるかもしれない。致し方ない。見解の違いである。
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