「いいね!」も「ビュー数」も、相手の関心事を測る大切な指標です。
FacebookもBlogも、私はコミュニケーションだと思っています。ということは、少なくとも、私と相手と、二人のプレイヤーが必要です。しかし、FacebookもBlogも、相手が見えない、特殊なコミュニケーションです。見えないところをどのように補うかが、FacebookやBlogがコミュニケーションたりえるかのキーになります。
手掛かりは「いいね!」「ビュー数」と「コメント」しかありません。だから「いいね!」「ビュー数」を無視することは、コミュニケーションとしてのFacebookやBlogを放棄することを意味し、私にはありえないことです。もしコミュニケーションでなくてもよいのなら、多くの時間を投入してFacebookやBlogに書くことは、しません。
「コミュニケーション」については、2派にわかれます。一つは「仲間系」で、仲間意識をもったり、共に楽しんだりすることを重視します。もう一つは「メッセージ系」で、メッセージを交換することを重視します。
はっきり分けることはできませんが、Facebookは「仲間系」が多く、Blogは「メッセージ系」が多いと思います。「メッセージ系」の私が「仲間系」のFacebookに、過激な言葉で言えば「殴り込みをかけて」います。
ただ、Facebookは「戦場」ではないし、「メッセージ系」が入ってきても寛容なので排除しません。
Facebookは「仲間系」だと言っても、「メッセージ系」の人もいるし、一人の人間を見ると(重心は人によって違うが)「仲間系」と「メッセージ系」の両面をもっています。私が働きかけようとしているのは「メッセージ系」の人・部分です。
読む場合、「メッセージ系」の私にとって大切なのは、いうまでもなく、メッセージ性です。相手が私にどのようなメッセージを送ろうとしているのか。「仲間系」の記事は私にとってはあまり魅力がありません。また、自己顕示欲の強さ、「いいね!」欲しさの目立つものは、私は、あまり読む気が起こりません。私にとって、どれだけのメッセージが含まれているかが、読むときの基準です。
書く場合、「メッセージ系」の私にとって大切なのは、私の送ったメッセージを相手が受け取ってくれる可能性です。何に関心を持つかは、人によって違います。人は、関心のないメッセージは受け取りません。それは、単なる「ごみ」です。結果的に「ごみ」を排出してしまうことを恐れていては何もできませんが、労力をかけて「ごみ」をまき散らしてしまうのは、空しいものです。誰のためにも役立ちません。空しくなってしまっていないかを測り、改善を探るための、数少ない手がかりが「いいね!」「ビュー数」です。それを手がかりとして、空しさを減らします。
「仲間系」の人が「いいね!」「ビュー数」を気にするのは当然のことです。数が多いことにより、自分につながりが多いことを確認できるし、「承認」されていることも実感できます。その数を他の人も見ているので、鼻も少し高くなるかも知れません。別系統になるかと思いますが、ビジネスで上手に活かしている人もいます。
他方、「メッセージ系」の人も「いいね!」「ビュー数」を気にしますが、少し意味合いが違うと思います。前者にとっては目指すべき「結果」「成果」ですが、後者にとってはメッセージ性を維持するために役立つ「指標」でしょう。
関心のない人にはメッセージは伝わりません。それを知っていてなお「今は関心がないようだが、今後関心をもってほしい」などと余計な「おっせっかい心」がうごめくのは、「メッセージ系」の血が騒ぐからでしょうか。
☆ 予定を変更し、
「五輪書」(2)自己を磨く鍛錬の道(2/2)(5月9日(月) 22:25- Eテレ放送)
は、次回に先送りします。
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