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2016年5月11日水曜日

(505) 「察する」(3)  「察し」を改善する


 「察しが悪い」は、個性であると言ったが、それでも「察し」が良くなるに越したことはない。

  私自身、察しの良い方ではないので、大きなことは言えないが、工夫はしている。何かの役に立つかも知れないので、3つ紹介する。

 
 
 第一に、目の前に変わったところがないか、意識して見るということである。しかし、今、唐突に変わったことに気付くことは不可能である。何故なら、元と今とが違うから「変わった」と言えるのであり、だから、そもそもの「元」を知っておらねば「変わった」ことを発見することはできない。しかし「元」を全て記憶することは不可能である。

 できることは、「大切である」と思われるところだけでなく、その周辺や背景に関心を持って見ることだ。そして何かが変わった時「違和感」が起これば、半ば成功である。後は、その違和感とはなにかを具体的に究明していくことになる。


 探偵ものの小説を読んだり、映画・テレビを見たり、していると、探偵は、ずばぬけて察しが良い。このパターンは、だいたい共通している。普通の人が気付かない「ちょっと変わっている」ことに着目し、そこから推論を張り巡らせ、事件を解決に導いていく。

 「ちょっと変わっている」ことをいかに発見するか、に注意を向ける努力を絶やさず、継続すること。

 

 第二に、相手の立場に立って、相手の視線、相手の視点で見つめることである。相手の立場に立つと、今まで気にならなかったことが気になることがある。

何かが終わった時に、相手にどんなことを感じたか、どんなことを考えていたかを教えてもらうことを繰り返しているうちに、相手の立場に立って見えるようになる。

 「私、私」と、私から離れないと、見方が片寄り固定する。

 

 第三に、ある特定の人を思い浮かべて、その人なら、どう感じ、どう考え、どう決めるかを想像することである。できれば、その道のプロフェッショナルであることが望ましい。前提として、日ごろからよく観察しておくこと。

 
 私は、メーカー勤務の技術者であった。事務所において、私の島は技術者ばかりだが、隣の島は営業マンばかりであった。彼らの挙動は、どうも我々の挙動とは違う。言うことを予想しても、外れる。何故違うかは分からないが、ともかく違う。

 ある考えが行き詰ったとき、あの営業部のエースだったら、どうするだろうかと想像してみたら、今までとは全く違う発想がでてきた。彼が同じ発想するかどうかは知らないし、どうでもよいことである。

 
 要するに、自分の枠にとらわれないこと。そのためには、自分と違う枠があることを知っていること、その枠はどんなものかを関心をもって観察しておくこと。深く知らなくてもよい。表面的なものでもよい。

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