次のようなトピックスで盛り上がっている(私のFacebookの友達)。
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ええ歳して…「ノーメイクで人前に出る」のと
「コテコテに塗りたくって人前に出る」のと
どちらが好感度が高いかなぁ…(* ̄∇ ̄*)
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コメントを書かせてもらって、反応してもらって、私には、とても勉強になった。ありがたいことである。いつものことであるが、私とは違う人がいるということを発見するのは、とても楽しい。さらに「ああ、こういう考え方で人付き合いをすればよいのかな」とヒントをいただいた。
第一に、何故これがトピックスとして成立するのかが疑問だった。
最初は一つの要素を思いついたが、よく考えたら三つあった。
①
その人は、ノーメイクが似合うか、コテコテが似合うか
②
「好感度で受け止めてほしい人」が、ノーメイクを好むかコテコテを好むか
③
メイクの技量はどの程度か
この3要素で、「いまここ」での最適解が見つかる。ここから、私の焦点は移る。「どちらが似合うかをどう見極めるか」「相手の嗜好をどう把握するか」「どのようにメイクの技量を高めるか」
一方、そのページでは、「ノーメイク派」と「コテコテ派」が、楽しそうに意見を述べ合っている。
第二に、議論している「高感度」とは誰にとってのものか疑問だった。
私は、相手あるいは第三者の「好感度」をイメージした。それなら、相手・第三者の姿が見えないと議論は始まらない(前述②に該当)。
しかし、「究極の選択である」として、その前提無しに会話が進んでいる。ということは、「好感度」は相手側にはなく、自分側にあるはずである。相手には関係なく「好感度の高い私」「好感度の低い私」がいることになる
第三に、何のために会話を続けているかが疑問だった。
私は、無意識に・勝手に正解を求め始める。私的には先の三つの要件を発見できたところで、(少なくとも第一幕は)終わっている。
しかし、現実は、会話が続いている。
「二つの文化」がぶつかっているのである。どちらが正しいとか、正しくないではない。違う文化なのである。
現実違っているのだから、それにどう適応するかの課題である。
(1)
正解を見つける方法には関心が向かない
(2)
「私は好感度が高い」は、私が決める
(3)
正解を求めるのではなく、会話を楽しむ
「この3点に留意しながら会話すると、女性とすれ違うことが少なくなる」
という仮説を立ててみた。本当か?
これを、どう検証するか?
ますます、楽しくなってきた。
ちなみに、(1)は正に、前回(495)で取り上げた、「Yes / No 」課題である。
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