【 読書 ・ 100分de名著 】日蓮は仏教者として、病や死に苛まれる人を励まし、支え続けました。最終回は、手紙だからこそリアルに感じ取れる、日蓮の死生観を見ていきたいと思います。
第4回 28日放送/ 30日再放送
タイトル: 病や死と向き合う
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1)
病の人を励ます
(2)
子をなくした人に寄り添う
(3)
鬼神を叱り飛ばす
(4)
「霊山浄土でお会いしましょう」
(5)
旅路の途上の最期
【展開】
(1)
病の人を励ます
病気がない人であっても、無常の道理を免れることはありません。ただし、尼御前は老齢の域にあるのではなく、「法華経の行者」です。寿命を全うしないで死ぬようなことは、あるはずがありません。《中略》
尼御前は「法華経の行者」です。そのご信心は、月の満ちるがごとく、潮の満ちるがごとくであります。どうして病が消え失せず、寿命も延びないことがあろうかと強盛に思って、身体に養生を心がけ、心にはものごとをくよくよと嘆いたりしないようにしてください。 …(『富木尼御前御書』、建治2年〔1276〕2月27日)
何の病であったかは分かりませんが、この手紙からすると、富木尼は気鬱に陥っていて、死の不安にとらわれていたように思われます。 … 日蓮は、富木尼の不安と嘆き悲しみの心が最大の問題点だと見ていたのでしょう。不安と嘆き悲しみを吹き払うために、日蓮は懸命に富木尼を励ましています。
(2)
子をなくした人に寄り添う
日蓮は、五郎の四十九日にも手紙を送っていますが、次に紹介するのは五郎が亡くなって四ヵ月後に送った手紙です。
故七郎五郎殿は、年齢は十六歳で、心根も、容貌も、人に勝れておられた上に、男としてのオ能を備えていて、万人にはめられていただけでなく、 … 私〔上野尼〕が死んだら、この子に担われて埋葬場〔または火葬場〕へ行った後は、思い残すことはないと深く思っていたところに、不孝にして先立ってしまったので、どうしたことであろうか、夢か、幻か、覚める、覚めると思っても、覚めることはなく、年も改まってしまいました。いつまで待てばいいのかも分からず、再会できる場所だけでも言い残しておいてくれたならば、羽がなくても天にも昇ろう。船がなくても唐の国へ渡ろう。大地の底にいると聞けば、どうして大地をも掘らないでおられましょうかと思っておられることでしょう。(『上野尼御前御返事』、弘安4年〔1281〕1月13日)
上野尼の心情を汲んで、励ますというよりは、もはや日蓮が尼自身になりきり、五郎の面影をしのび、思い出をたどり、これは夢か幻か、どこへ行ったら五郎に会えるのかと行きつ戻りつしています。日蓮は、このように相手の身になってものを思うのが常でした。それとともに、悲しみに打ちひしがれ、何をどう考えていいのかも分からない母親に代わって、日蓮が母親の思いを表現してやったものとも言えます。
(3)
鬼神を叱り飛ばす
また、鬼神のやつらめ、この〔南条時光という〕人を悩ますのは、〔お前たちは〕剣を逆さまにして呑む気か、大火を抱きかかえる気か、 … 恐れ多いことであろう。この人の病をただちに治して、逆にこの人を守る者となって、 … 〔南条時光を〕留めて末長く生きさせよ。末永く長生きさせよ。日蓮の言葉をさげすむならば、必ず後悔することになるであろう。(『法華証明抄』、弘安5年〔1282〕2月28日)
日蓮自身も病に冒されていながら、この人を死なせてはならないという、ほとばしるような思いをそのまま筆に任せて書いたものと思われます。 … これは、南条時光に宛てた手紙であるはずなのに、時光に取り憑いている鬼神に向かって物申す文章になっています。別の見方をすると、ここに言う「鬼神」とは、時光の弱気になった心を指しているのでしょう。 … 日蓮は「死ぬな」「生きろ」と、弱気になった時光の心を声を限りに叱咤し鼓舞しているように思えます。
(4)
「霊山浄土でお会いしましょう」
私たちが居住していて、『法華経』というあらゆる人を成仏させる一仏乗の教えを修行する所は、いずれの所であっても、久遠の仏が常住する常寂光の都であるはずです。我らの弟子檀那となる人は、一歩も行くことなくして天竺の霊山浄土を見、本来有りのままに常住する仏国土へ昼夜に往復されることは、言葉で言い表すこともできないほど嬉しいことです。(『最蓮房御返事』、文永9年〔1272〕4月13日)
『法華経』を読誦し、実践する人のいるところが、そのまま霊山浄土であり、その人は、そこから一歩も動くことなく、日夜そこに往来できると説いています。
『法華経』に説かれた永遠・常住の境地(霊山浄土)に立ち還ることによって、自己に永遠・常住の境地を体現することになります。永遠は、決して死後の世界にあるのではなく、「いま」「ここ」で、この「わが身」を離れることはないのです。
(5)
旅路の途上の最期
いま残っている最後の手紙は、身延の日蓮の生活を支えてくれた波木井実長に宛てた礼状です。
ついには、やがて戻っていく道でありますが、病の身であるので、思わぬこともあるでありましょう。そうであっても、日本国でいささか取り扱いに困っている身を、九年まで帰依された志は、言葉で言い尽くせないので、いずこで死んだとしても、墓は身延の沢にしてくださるべきです。(『波木井殿御報』、弘安5年〔1282〕9月19日)
悲壮感が漂うわけでもなく、仰々しくもなく、むしろ淡々としています。「日本国でいささか取り扱いに困っている身」などと言うあたりは、日蓮らしいユーモアも漂います。ほんのりと明るい感じすらあります。
それは、生と死はひとつながりだからでしょうか。霊山浄土で会える人々がたくさんいるからでしょうか。
『法華経』そのものの人生を生きた日蓮にとっては、生死をまたぐ瞬間も、また喜びであったのではないでしょうか。
<出典>
植木雅俊(2022/2)、『日蓮の手紙』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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