◆ 最新投稿情報
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(K1273) (暴力をふるう)私を侮辱するなんてひどい(2) / 認知症の人の不可解な行動(42) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/10/k1273242.html
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菜種油にひたした灯芯に火をともす「燭台」から、ろうそくを使った「行灯」への移行があり、「行灯」の光源を反射率の高さで明るくする白い和紙の活用があり、和ろうそくがあり、利便性を高めた「提灯」がある
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第4回 26日放送/ 28日再放送
タイトル: 『陰翳礼讃』- 光と影が織りなす美
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 古典を味わうときに必要な想像力とは
(2) 日本家屋を外国人のように見ること
(3) モダニズム後の気づき
(4) いにしえの世界に繋がる素材と仕掛け
(5) 東洋人が万年筆をつくっていたら
(6) 失われつつあるものが秘める豊かさ
(7) 晩年の谷崎――超高齢化社会の問題を先取り?
(8) 老いてなお悟らない――貪欲な探求心
(9) 谷崎が気づかせてくれること
【展開】
(1) 古典を味わうときに必要な想像力とは
(2) 日本家屋を外国人のように見ること
(3) モダニズム後の気づき
(4) いにしえの世界に繋がる素材と仕掛け
(5) 東洋人が万年筆をつくっていたら
以上は、既に書きました。
(6) 失われつつあるものが秘める豊かさ
私たちが現在の芝居小屋で歌舞伎などのパフォーミングアーツを観劇する際は、横長の舞台に、書き割りが飾られ、明るく均質なライトが強烈に舞台を照らしているために、ディテールがなくフラット(平ら)に見えるものです。影が飛んでしまう。あえて伝統的なかがり火だけで上演する薪能などを見ると、その暗がりに浮かび上がる白さに目を凝らしては、動きの、感情のニュアンスを感じ取ることになります。
陰翳が出やすいゆらぐ明かりのもとで、対象物を見つめ、美を見出していく恍惚を、谷崎は繰り返し、本書のなかで説いていくのです。
(7) 晩年の谷崎――超高齢化社会の問題を先取り?
そして戦後に至ると、70歳となる昭和31年(1965)に『鍵』を、そして75歳の昭和36年(1961)には『瘋癲老人日記』を著し、文壇の内外で大きな話題を集めました。これらは年老いた男の性的倒錯をモチ-フとしています。
『鍵』は、自分の妻と若い男との不倫の現場を押し入れの中から覗き見て興奮している大学教授の物語で、 … 一般の読者も含めて「うわ、変態」と思わせるだけのインパクトのある作品を書いたことは、賞讃すべきことです。「なまじ悟りなどするものか」という覚悟のほどが見えます。
じつはこれも、確信犯的な戦略でした。主人公の学者は、欲望はあるのだけれど思うに任せないという、つらい精神状態を持て余します。欲望が肥大化したままの老人が取るべき手段は何かという、具体的な提言でもあるのです。現代にいたる超高齢化社会の老人の切実な問題を、彼は先取りしていたといえます。
(8) 老いてなお悟らない――貪欲な探求心
彼は下手に「悟り」を開かなかった。これが、表現者としての欲望の強さの表れでしょう。手を変え、品を変え、妄想力を発揮して、独自の崇拝のスタイルを見出していきます。崇拝すること自体が、対象を高度に鑑賞することでもあり、対象との関係をあらたに結び続けることでもあった。三十代の『痴人の愛』から晩年の老人文学まで見てきましたが、谷崎が、それぞれの時代において文学的に果敢な実験、新しい手法の開拓をしていたことがよくわかります。この探究心には脱帽します。
(9) 谷崎が気づかせてくれること
(戦後)やがて、技術開発の目的は生活向上から、遊戯的方向へ向かい、退屈を紛らわす日本の技術は新たな世界市場を築きました。
SONYにしろ、任天堂にしろ、カラオケにしろ、戦後に世界市場を切り開いて、退屈をやり過ごすための技術が結集されたものでした。
結果的に戦争を放棄して初めて、日本は谷崎が性懲りもなく続けてきた理想に追いついたということなのかもしれません。
谷崎は活躍していた同時代においても、意図的にアナクロニズムを主張しましたが、流行という文脈から外れたもののほうが歴史の風雪に耐え、文化財としての価値を持ちうることがわかっていたのでしょう。「どうだ、進歩主義のほうが古びやすく、淘汰を声高にいう人から先に滅びただろう」という谷崎の声があの世から聞こえてくるようです。
<出典>
島田雅彦(2020/10)、谷崎潤一郎スペシャル、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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