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(K1266) 眠ってばかりの状態から旅立つこと(2) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/10/k1266-2.html
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さてここまでの 『春琴抄』 の前半は、春琴が事件によって顔に大やけどを負う、そして師である春琴の回復を待って佐助が自分の両眼を突いて盲目となるという大きな出来事に向かっていくための前振りに過ぎません
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第3回 19日放送/ 21日再放送
タイトル: 『春琴抄』- 闇が生み出す物語
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 架空の評伝
(2) 純度を高める子弟
(3) 芸道の圧倒的厳しさ
(4) 動乱の時代と隔絶する意思
(5) 眼球を突く描写の比類なきリアリティ
(6) あえて見えなくする
(7) 「死者の復活」を試みること
(8) 死者は生者の脳裏に生き続ける
【展開】
(1) 架空の評伝
(2) 純度を高める子弟
(3) 芸道の圧倒的厳しさ
(4) 動乱の時代と隔絶する意思
以上は、既に書きました。
(5) 眼球を突く描写の比類なきリアリティ
針を刺したら眼が見えぬようになると云う智識があった訳ではない成るべく苦痛の少い手軽な方法で盲目になろうと思い試みに針を以て左の黒眼を突いてみた黒眼を狙って突き入れるのはむずかしいようだけれども白眼の所は堅くて針が這入らないが黒眼は柔かい二三度突くと巧いエ合にずぶと二分程這入ったと思ったら忽ち眼球が一面に白濁し視力が失せて行くのが分った出血も発熱もなかった痛みも殆ど感じなかった此れは水晶体の組織を破ったので外傷性の白内障を起したものと察せられる佐助は次に同じ方法を右の眼に施し瞬時にして両眼を潰した尤も直後はまだほんやりと物の形など見えていたのが十日程の間に完全に見えなくなったと云う。
(6) あえて見えなくする
佐助は師匠の美しい顔がやけどを負ったのでそれを約東通り見ないようにするために盲目になったと解釈はできます。しかし、その深層では、春琴と同じ障害を自らに加えて、より春琴に近づく、春琴と同じ感覚で世界を認知したいという欲求が隠されているのではないでしょうか。二人は自ら望んでこうなったのではないかという気もします。悲劇ではなく、ハッピーエンドに向かうひとつのステップだと考えることもできるでしょう。
彼は、眼が見えなくなったことを僥倖と考えています。視力は失われるが、逆にそのことによって、過去の、脳裏に焼き付いた春琴の映像的記憶のみを見つめて生きていくという立場になったのです。
(7) 「死者の復活」を試みること
「読解」という技術が必要になります。「私」は佐助の書いた「鵙屋春琴伝」というテキストを読み解き、彼女の像を補強していく。鴫沢てるに取材をして、佐助とはべつの視点からの情報を得ようとする。ここにはもういない春琴とはどういう人物であったのか、さまざまな手がかりや自分自身の直感から造形し直す行為です。いわば「死者の復新」です。写真に写る情報だけでは到底辿りつけない実像に迫ろうとする試み。それが『春琴抄』の目指すところと考えていいでしょう。
(8) 死者は生者の脳裏に生き続ける
物語の終盤には、「人は記億を失わぬ限り故人を夢に見ることが出来るが生きている相手を夢でのみ見ていた佐助のような場合にはいつ死別れたともはっきりした時は指せないかも知れない」というフレーズもあります。物理的に春琴は死にはしたけれど、佐助には記意再現のための装置もあるために、現実の春琴の死をやすやすと乗り越えることができたという意味でしょう。死者にまつわる記憶が、遺された生者の脳裏に存在し続ける以上、その死者は生き続けているとも考えられる。死者はまだ死なないのです。本当に死者が死ぬときは、彼、彼女らの記億を宿している人たちが全員、死んだときなのです。
<出典>
島田雅彦(2020/10)、谷崎潤一郎スペシャル、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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