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(K1264) 本当にすべての人が長く生きることを望んでいるのだろうか / 自立期と仕上期との間にて(11) <自立期~仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/10/k1264-11.html
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佐助は春琴の三味線の稽古に付き添ううち、それを好きになり、こっそりと稽古三味線を買って押し入れの中で練習を始めます。筋がいいと認められ、そこで家の者は、春琴に師匠役をやらせることにしたのです
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第3回 19日放送/ 21日再放送
タイトル: 『春琴抄』- 闇が生み出す物語
【テキストの項目】
(1) 架空の評伝
(2) 純度を高める子弟
(3) 芸道の圧倒的厳しさ
(4) 動乱の時代と隔絶する意思
(5) 眼球を突く描写の比類なきリアリティ
(6) あえて見えなくする
(7) 「死者の復活」を試みること
(8) 死者は生者の脳裏に生き続ける
【展開】
(1) 架空の評伝
芸道に励む盲目の美しい女性が悪漢にひどいやけどを負わされ、それを知った弟子が自ら眼球を突いて盲目になる――文字数を絞ったあらすじだけを聞けばひじょうに通俗的な小説ではありますが、谷崎は技巧を凝らし、なんとも魅力的な作品に仕上げています。
まずは出だしで物語の成り立ちを説明していることに注目しましょう。
かつて春琴という女性がいたと紹介があり、「近頃私の手に入れたものに
「鵙屋春琴伝』という小冊子があり此れが私の春琴女を知るに至った端緒であるが此の書は生漉(キズ)きの和紙へ四号活字で印刷した三十枚程のもので」と、この物語の語り手を担う「私」がたまたま、「鵙屋春琴伝」を入手したとあります。それは佐助という検校が自分の師匠である春琴について書いた明治中期の書物である、と説明されます。
(2) 純度を高める子弟
トイレに行けば、手を洗う水も誰かが柄杓でかけてやらなければならない。そのうえ春琴はこの年にして、なかなか気難しく意地悪なので、並の人間では務まらない。
春琴は「もうええ」と云いつつ首を振った。しかしこういう場合「もうええ」といわれても「そうでござりますか」と引き退っては一層後がいけないのである無理にも柄杓を捲ぎ取るようにして水をかけてやるのがコツなのである。
付き人や召使、侍従といった、人に仕える者は、あれこれ細かくいわれずともおのずから求められるところを察する能力を必要とします。暗黙の了解というか、阿吽の呼吸というか。佐助は、春琴が望むものを本人より先回りして用意することができ、またそのことに喜びを見出していた。いわば春琴解読のプロフェッショナルです。春琴もそこに信頼を置いたのでしょう。こうした特異な関係が深まるさまを、小説は繊細に描き出します。
(3) 芸道の圧倒的厳しさ
谷崎は実際に芸事の稽古に励んだ経験もあるので、この場面は生々しい。身分上のたんなる上下関係が、芸の求道者としての師と弟子に代わる。そして佐助もそれにけなげについていく。叩かれても、罵られても、ひいひい泣いてもついていく。周りからは、女の身で男に阿呆などとロ汚く罵るのはどうかと注意されますが、春琴は、お前が泣くせいで私が怒られた、歯を食いしばって耐えられないなら師匠はやめると佐助にいいます。そのために佐助は泣くのすら堪えるようになるのです。
(4) 動乱の時代と隔絶する意思
相の動きとはまったく無関係であるかのように、二人は引き籠もる。芸を求道した師匠と弟子の世界に引き籠もるといってもいいし、二人だけの閉ざされた暗闇に完全に隠遁するといってもいいでしょう。
ここに、のちの谷崎の小説家としての戦争のやり過ごし方と重なる部分が見えてきます。実際に『春琴抄』が書かれたのは昭和8年(1933)、満州事変の2年後です。以降、日本は継続的に戦争状態になり、アジア太平洋戦争に突入していく。
谷崎は、時局から自分自身を完全に隔離して、疎開先で『細雪』や『源氏物語』の現代語訳に没頭していました。彼にとって、動乱の世間と隔絶された作中の二人は、自分の境遇の投影でもあったと思います。
以下は、後に書きます。
(5) 眼球を突く描写の比類なきリアリティ
(6) あえて見えなくする
(7) 「死者の復活」を試みること
(8) 死者は生者の脳裏に生き続ける
<出典>
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