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2017年1月22日日曜日

(761)  日本のアンデルセン 小川未明 朗読「赤い蝋燭と人魚」ほか


2017118(水) BS朝日 放映済み

※ 添付写真は、放映画面より。

 
「赤い蝋燭と人魚」あらすじ、「野ばら」全文は、後ろの方にある。
 
「野ばら」は、YouTube で朗読を聞くことができる(約11分)

 

小川未明は、「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。

 
私には「赤い蝋燭と人魚」も「野ばら」も書けない。
 
   「文才がないから」書けないのではなく、
たとえ「文才があっても」書けない。

 
二つとも、ストーリーの大きな流れは、同じである。
前置き → 幸せな状態 → その幸せが崩れる
 
このように終わる。


happy endの対句はtragic endが定番」らしい。

小説家には、二つのタイプがあるそうだ。その小説が「めでたし、めでたし」で終わるか、悲劇的に終わるかである。

 
私が小説を書くとするなら、悲劇的な終わり方はしないだろう。

「胸を打つ」小説は、悲しく終わるものなのだろうか。

 

次回は、

125日(水)放送】 BS朝日  22:00 23:00
 
ドロシーと不思議な仲間の大冒険!朗読 「オズの魔法使い」


 
 

 
  絵は、いわさきちひろ
童話作品の挿絵としては未完の遺作となった。
 
 
 
「赤い蝋燭と人魚」あらすじ

===== 引用 はじめ

ある北の暗い海に身重の人魚が棲んでいた。人魚は辺りを見回して、「あまりにも海が寂しいので子供が可愛そうだ」と考えた。人魚は人間が優しい心を持っていて、街は楽しい所だと聞いていたので、海辺の街の神社に行って、子供を産み落とすことに決める。

 翌朝、人魚の捨て子は神社のそばの、ろうそく屋の老夫婦に拾われた。その子はとても大切に育てられ、美しい娘に成長する。人魚の娘が白いろうそくに赤い絵を描くと、たちまち評判となり、ろうそく屋は繁盛する。神社に納めたろうそくを灯して漁に出ると、時化でも無事に帰ってこられるということが分かり、ますます評判が広まった。

評判を聞きつけた行商人(香具師)が人魚に目をつけ、老夫婦に娘を売ってくれるように頼んだ。最初のうち老夫婦は娘を手放そうしなかったが、「昔から、人魚は、不吉なものとしてある。」という香具師の言葉と、法外な金を前にして手放すことになってしまう。娘は老夫婦の元を離れたくないと懇願するが、欲に目が眩んだ老夫婦は耳を貸さなかった。ある月の明るい晩、大きな鉄格子のはまった箱を乗せた車がやってきて、娘は真紅に染めたろうそくを残して、連れて行かれた。

その夜、老夫婦の元に、不気味な女が現れ、真紅のろうそくを買って行った。すると突然に海が荒れ狂い、沢山の船が転覆し、娘の乗った船も檻と共に沈んでしまう。それからというもの、神社に灯がともると大時化が来て人が死ぬようになる。老夫婦は神様の罰が当たったのだと考え、ろうそく屋をやめてしまった。

ろうそく屋がなくなっても、その呪いは収まらず、山の上の神社は恐れ嫌われて人が途絶え、幾年も経たずしてその街は滅びてなくなってしまった。

===== 引用 おわり

Wikipedia 『赤い蝋燭と人魚』

 
 
  

「野ばら」全文

===== 引用 はじめ

  大おおきな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。

  ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守もっていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。

  二人は、石碑の建っている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。

  初め、たがいに顔を知しり合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。

  ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。

 「どれ、もう起きようか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ出でると、はたして、太陽は木のこずえの上に元気よく輝いていました。

  二人は、岩間からわき出る清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。

 「やあ、おはよう。いい天気でございますな。」

 「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持ちがせいせいします。」

  二人は、そこでこんな立ち話をしました。たがいに、頭を上げて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを見る度に心に与えるものです。

  青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向かい合って将棋を差していました。

  初のうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。

  この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上うえで争っても、心は打ち解けていました。

 「やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん。」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。

  青年は、また勝ちみがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。

  小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送ってきました。

  冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方を恋しがりました。

  その方には、せがれや、孫が住んでいました。

 「早く、暇をもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。

 「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。

  やがて冬が去さって、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮していた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。

 「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と、老人はいいました。

  これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、

 「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方で開かれています。私は、そこへいって戦います。」と、青年はいい残して、去ってしまいました。

  国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲いて、みつばちは、日が上がると、暮れるころまで群がっています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人はその日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしてたちました。

  ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終わったということを告げました。

  老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。

  老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらが枯れてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。

===== 引用 おわり

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

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