前回(748)からの続きである。
元気な高齢者が支える側として寄与する必要が高まるが、どのように寄与するかが大切だと思う。
● 元気な高齢者が支える側として寄与する必要が高まる
===== 引用 はじめ
かつての「胴上げ型」から現在の「騎馬戦型」、そしてやがては「肩車型」へ。1人のお年寄りを何人の働き手で支えるのかを表現するときにいわれる言葉だ。2050年には現役世代1.2人で1人を支えなくてはならないとされる。
半世紀前は現役世代9人で65歳以上の高齢者1人を支える「胴上げ」型だった。今では3人で1人の「騎馬戦」型になった。2050年には国民の4割が高齢者となると推計されている。
===== 引用 おわり
“年金負担の現状示す「騎馬戦」型”、ことばアップデート、日経Bizアカデミー
前回、「社会の支え手とそうでない人との境界線を65歳から75歳にスライドするもの」と批判的に述べたが、この問題は捨て置けない。
一つ目の図は、政府広報・内閣府官房作成パンフレット 『明日の安心 社会保障と税の一体改革を考える』から切り取った。
大変な時代に突入するものと思われる。本当に社会は、成立していけるのだろうか。
これと似て非なる興味深い図がある。
二つ目の図は、「新しい総合事業の意向戦略 地域づくりに向けたロードマップ」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)より切り取った。
担い手が増えているが、「75歳以上1人に対して15~74歳」をカウントしている。すなわち、先の対案のように、65~74歳を支える側から支える側に移している。かつぎ手が増える図になるのは、当然である。
さらに3つ目の図では、かつがれる人は総人口で、かつぎ手の数の変化が小さい。
これは愛知県労働組合総連合のホームページから切り抜いた。
「社会保障で支えているのは、高齢者のくらしだけでなく子どもたちの保育や教育をはじめ、現役世代自身も医療などでその恩恵を受けています。社会保障によって支えられているのはすべての国民です。また、社会保障を支えていくのは65歳以下のいわゆる現役世代だけでなく65歳以上の高齢者や女性も働く人が増えており、」という考え方に基づいている。
詳細に言うと、①「現役世代は、自分は食うや食わずで年少世代や老年世代を扶養するわけではなく、自分も含めた全人口を扶養している」、②「生産年齢人口の中で、女性の労働市場への進出率(=生産年齢人口のうち労働力人口を構成する人口の割合:労働力率)がさらに高まると予測される」、③「老年人口の中でも65~70 歳の層で労働力率が大幅に上昇すると見込まれている」、という考え方を織り込んでいるようである。
参考資料:“2012 年3 月19 日 「肩車社会」論のまやかし”
考え方自体に間違いはないと思う。高齢者及び女性の働き手が増えるだろうということを織り込んでいるので、当然変化は小さくなる。また、かつがれる側として老年人口だけでなく全人口をとりあげることよっても変化は小さくなるが、年少人口と老年人口との比率が変わることは次世代に大きな影響をあたえ、問題を先送りしている側面もあろう。
もう一点。
「総務省は26日、2015年国勢調査の確定結果を発表した。15年10月1日現在で、外国人を含む総人口は1億2709万4745人。前回10年調査から96万2607人(0・8%)減り、1920年の調査開始以来、初めて減少に転じた。」
この影響も大きい。増えた人口に応じて作られたインフラは、人口が減ってもあまり減らすことはできず、維持管理のための労力・費用はそれほど減らない。我々の生活を快適にしてくれるはずのインフラの(を維持管理していく)重みが、絶対数の減った担い手に大きくのしかかる。
「どの程度か」については、様々な意見はあろうが、方向として「元気な高齢者が支える側として寄与する必要が高まる」のは間違いないだろう。
● 元気な高齢者が支える側として、どのように寄与するかが大切だと思う。
“平均寿命も健康寿命ものび、その結果、「第一線を退いたが元気な期間」が生じた。その期間を現役色に染め上げようとするか、価値あるものに高めようとするかの違いである。”と先に述べた。
「元気な高齢者が支える側」になる形態として、定年延長のみを想定するのは、疑問に思う。定年延長も一つの手段であり、働きたい人は働き続ければよいとだろうが、もう一つ別の生き方を開発することが重要だと思う。
長くなったので、この課題は、あらためて取り上げることにする。
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