昨年何度か、加古川市にある「かこむ」での「シニア交流会サロン」に参加した。テーマ無しに集まり「だべる」会である。最近の様子は行っていないので分からないが、当時はサロンの進め方を模索していた。
前半と後半とでは、様子が一変した。
男のグループは、一応「グループ全体で」というスタイルは継続したが、女のグループは、あっちの塊・こっちの塊ができて、「ぺちゃくちゃ」喋っている。そちらの方が気になって、私の耳は半分そちらに向かっていた。
内容は(男である)私が聞くと「くだらない」。最近あったことを「べらべら」喋っている。次の人が話し始めると、内容に脈絡がない。「くだらない」と書いたのは「私にとって」であり、「彼女らにとって」は大事な会話なのだろう。
今年の4月3日、上述「かこむ」での別の集会「哲学カフェ」で、私は次のように話をした。
男の会話と、女の会話は、違う。先ず、目的が違う。男は何かを主張したくて話すが、女は仲良くなりたくて話す。
次に、女は自分の弱みを平気でさらけ出すが、男は自分の弱みを見せようとしない。
(これは、その時には言わなかったが)男の会話は「戦闘モード」であり、女の会話は「平和モード」である。
その時のテーマは「健康」であり、「体の健康」と「心の健康」があるよね、という話になっていた。その流れで、私は続けて言った。
因みにその時は「ストレスコーピング」という言葉は使わなかった。簡潔に表現するため、ここで書いている。「(ストレス)コーピング」とは、「ストレス要因や、それがもたらす感情に働きかけて、ストレスを除去したり緩和したりすること」(コトバンク)である。
女は「平和モード」の中で、辛いこと・悲しいことをしゃべり(弱みをさらけ出し)、それを「仲良くしたい」人たちが「大変だったね」と受け入れる(傾聴)。コーピングになっている。
男は「戦闘モード」の中で、プライドをかけて(弱みを見せずに)、自己主張する。意見は当然人によって違うので、緊張が走る。ストレスの元になっている。
「だから、」という発言があった。「男も女を見習って話せばいいのよ」
私は「違いのではないか」と反論した。「男には男の特性があるので、それを女の特性に合わせよというと、さらにストレスを高めてしまうのではないか」
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