<前回からの続き>
向精神薬を飲みたくないと、苦悩する人がいます。その人に対してできることがあります。それは「温かい 人と人とのつながり」を保つことです。こう書くと美しい、良いお話に見えますが、実は、とても苛酷な話なのです。
その人を愛するが故に、近しいものとしては大きな不安をかかえてしまいますが、それをぐっと飲み込まねばなりません。「温かい 人と人とのつながり」をと手を差し伸べた人に葛藤が起こります。
本人がなかなか理解してくれず苛立つ心が起きます。このままで良いのか・どんどん悪くなるのではないかと焦りの気持ちが起きます。いつ終わるか知れず暗澹たる気持ちになります。本人の辛い様子を見て周囲の人も辛くなります。周囲の人は様々な感情に襲われますが、それもぐっと飲み込まねばなりません。そのことにより始めて、「つねに本人を温かく受け入れ、温かく接する」ことができるようになります。
しかし、そうすると、周囲の人にストレスがたまり、下手をすると周囲の人まで巻き込まれ、つぶれてしまいます。そうなると「手を差し伸べる」どころの話ではなくなってしまいます。
支える身近な人通しでの「温かい 人と人とのつながり」も必要でしょう。「支える人」自身が「支えられる人」になることを受け入れねばならないし、「私を支えてくれる人」を見つけないと、なかなか耐え切れません。
悩み、苦しみ、怒り、嘆き、屈辱感、絶望感、こんこんと湧き出す本人の苦悩を受け取り、受け入れつつも軸足を一歩ずらす。ずらすのは難しいけれど、同じところに立つと、一緒に奈落の底に落ちてしまいます。
眼下には底知れぬ深淵がよこたわっています。引き込まれそうになり、おののながら、崖っぷちで踏ん張る。時が経ち、時が解決してくれるまで、耐え抜く。
薬で治さなくてよいようになりたいなら(薬を徐々に減らし、飲まなくてもよくなるためには)、本人が自分で治すしかありません。その自己治癒力を支えてくれるのが「安心」であり、周囲の人が協力することができるでしょう。
それは苦しい道のりであり、かつ良い結果を得られるという保証はありません。しかし、それでもなお、信じ、息長く取り組むしかないと、私は思います。
私は、専門家ではありません。
「そういう考え方もあるのかな」と、軽く受け止めていただければ幸いです。
専門的知識の例 =====
向精神薬に関する専門的知識としては、例えば、
「向精神薬とはどんなお薬のことか。抗精神病薬との違いは?」
抗精神病薬(向精神役の一種)の副作用については、例えば、
「向精神薬の薬理作用と副作用」
https://www.jpna.or.jp/kangoshi/effect.html
認知症と薬(抗認知症薬)については、例えば、
「認知症の薬の話」(第13~15回)
https://info.ninchisho.net/column/psychiatry_013 (第13回)
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