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(K1243) 親の介護、40~50代正社員の26%が離職意識 女性多く <介護>
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最終回では、はじめにペスト終息の様子を確認してから、『ペストの記憶』という作品の文学的な特徴をまとめ、さらにはペスト流行のような災害を記録し、記憶するために文学に何ができるのかを考えてみたい
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第4回 28日放送/ 30日再放送
タイトル: 記録すること、記憶すること
【テキストの項目】
(1) 油断が招いた第二波
(2) 終息も「神のご意思」
(3) 「それでもぼくは生きている!」
(4) 埋葬地のその後まで描いたデフォーの観察眼
(5) 「ごちゃ混ぜの作品」の魅力
(6) 文学スタイルの宝庫
(7) 真の主人公は誰か
(8) デフォーもペスト?
(9) 他の災害文学との比較
(10)果たしてこれは小説か
(11)災害を記憶するために文学にできること
【展開】
(1) 油断が招いた第二波
ペストはどのように終息していったのでしょうか。H・Fによれば、1664年末に最初の死者を出し、翌65年の春から夏に猛威をふるったペストは、その年の九月末になると、勢いに翳りが出始めたといいます。感染者の数は相変わらず多かったものの、死者の数が減り始めた、つまり「病気の悪性は弱まっていた」のです。
しかし、油断が第二波を招き、結局、本当に疫病が終息したのは、寒さの続く翌年二月のことでした。
(2) 終息も「神のご意思」
では、ペストが終息した最大の要因は何だったのでしょうか。H・Fに言わせれば、… 「ロンドンの町の状況が真に壊滅的と思われたまさにそのとき、いわば神が直に手を下して、この敵の怒りを鎮めてくださった」というのです。
H・Fは、神を心の支えとすることで不安を乗り越えてきました。疫病の克服には、各人の自助努力に加え、行政の対応や医学の進歩が欠かせませんが直ちに結果を得られないことが多々あります。… こうしたときに、何か心の拠りどころとなるものは、宗教に限らずとも必要ではないでしょうか。
(3) 「それでもぼくは生きている!」
ペストの終息を「神のご意志」と考え、神に感謝する姿勢を見せたのは、語り手一人ではありませんでした。少なくとも当時は、多くの市民も同じ気持ちを共有していたのです。
そしてこのペストの日誌は、H・Fの手による短い詩で結ばれます。
時は千六百六十五年
恐怖のペスト、ロンドンを襲う
消された命はざっと十万
それでもぼくは生きている!
H・F
お世辞にも上手いと言える詩ではありませんが、ここには恐ろしいペストを生き抜いた喜びが素直に表われていて、そのシンプルさが胸を打ちます。
(4) 埋葬地のその後まで描いたデフォーの観察眼
疫病の発生と共にロンドンじゅうの教会で掘られた埋葬地は、終息後は別の用途に使われ、忘れ去られる場所もありました。ある埋葬地は、所有者が転々と変わった末に住宅が建てられることになり、「基礎工事のために地面を掘ると遺体が現れたが、まだ元の姿を留めているものもあって、女性の頭部は長い髪からはっきり見分けられたし、他にも肉がまだ溶け切らず残っている遺体もあった」といいます。
デフォーの著作が異様にリアルである背景には、こうした醒めた観察眼――センチメンタルに流されず、読者におもねることなく、現実を直視する一人の市民としての目線があるのです。
(5) 「ごちゃ混ぜの作品」の魅力
さて、『ペストの記憶』の特徴を簡潔にまとめるならば、「ごちゃ混ぜの作品」となるでしょう。それは主に三つの面から指摘できます。
第一に、この本がひとつの物語に回収されるのではなく、様々なエピソードから成っていること。エピソードには語り手の体験として語られるものもあれば、彼が聞いたうわさ話もあります。
二つめの「ごちゃ混ぜ」は、市民と行政の双方の視点から書かれていることです。『ペストの記憶』は、ペストという疫病対策について「正解」を提示してはいません。様々な立場に立って記述し、ひとつの意見だけを正解としない姿勢は、両論併記にも通じるバランス感覚であると言えそうです。
以下は、後に書きます。
(6) 文学スタイルの宝庫
(7) 真の主人公は誰か
(8) デフォーもペスト?
(9) 他の災害文学との比較
(10)果たしてこれは小説か
(11)災害を記憶するために文学にできること
<出典>
武田将明(2020/9)、デフォー『ペストの記憶』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)