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2020年9月19日土曜日

(2097)  デフォー『ペストの記憶』(3-2) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1238) 『コータリン&サイバラの介護の絵本』(神足裕司) <介護><リハビリ>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/09/k1238.html

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二人は指物師(大工)のリチャードを誘って、田舎に疎開することにした。「さすらい三人衆」の誕生。三人はペストの勢いが激しい地域を避けながら進み、感染者を警戒してあちこちに設けられた検問の目も潜り抜ける

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第3回  21日放送/ 23日再放送

  タイトル: 管理会社 vs 市民の自由

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)   感染防止に向けた条例の制定

(2)   催しと宴会の禁止

(3)   行政府の奮闘が市民の不安を取り除く

(4)   効率の裏にある市民の苦しみ

(5)   行政への不信感

 

(6)   過去の教訓が生かされない現実

(7)   家屋封鎖の明と暗

(8)  「さすらい三人衆」の物語

(9)   権力による生の管理

(10) コロナ時代の生政治の行方

 

【展開】

(1)   感染防止に向けた条例の制定

(2)  催しと宴会の禁止

(3)   行政府の奮闘が市民の不安を取り除く

(4)   効率の裏にある市民の苦しみ

(5)   行政への不信感

 以上は、既に書きました。


(6)   過去の教訓が生かされない現実

 以上に挙げた点は、現代のコロナ禍で多くの国が直面した問題に通じているのではないでしようか。新型コロナウイルスの蔓延は、各国が保険や福祉を犠牲にし、経済の「自由化」を進めているさなかの出来事でした。それが問題をより深刻化させたことは否定できません。

 H・Fは、「間違いなく、どんな都市でも、少なくともこれだけ大きく栄えた都市であれば、今回のような恐ろしい疫病の流行への備えがここまで欠落していた前例は存在しない」と指摘しています。H・Fにそう言わせたデフォーも、同様の事例が二十一世紀の大都市でも見られるようになるとは、さすがに予想できなかったでしょう。

 

(7)   家屋封鎖の明と暗

 続いては、行政の対応で賛否両論が分かれた最大の施策、家屋封鎖について取り上げたいと思います。家屋封鎖とは、ペスト患者が出た家を封鎖して、患者だけでなく健康な同居人もすべて外出しないよう、またその家を外から訪ねる者がないよう、昼夜二交代で監視人を付けて見張るというもの。シティーでは先に引いた条例で定められ、ロンドンの他の地域でも同じことが行われました。

 デフォーは、ペスト流行下のロンドンで行政府が実施した家屋封鎖についてかなりの紙幅を費やして論じています。そこにあるのは、行政の視点、市民の視点、藍視人の視点など、多様な立場から見た政策の実態です。

 

(8)  「さすらい三人衆」の物語

 家屋封鎖に象徴されるように、感染者の出た家や、感染者が出た町(つまり口ンドン)からの移動は厳しく制限されました。しかしそんな中でも、監視の目をかいくぐり、脱出を図るたくましい人たちもいました。その例として、「さすらいの三人衆」の話を紹介しましよう。彼らの旅物語は、それだけで一篇の小説になり得る出来栄えです。

 このエピソードは、三人の男たちが十三人の仲間と共に、見知らぬ土地でペスト禍を生き抜く痛快な物語です。 … デフォーの筆は、こうした(公共の観点から見て「迷惑」な人たちという意味での)「困った人たち」に対して、不思議と共感的なところがあります。

 

(9)   権力による生の管理

 ここで想起されるのが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの議論です。フーコーは「生権力」(biopouvoir)および「生政治」(biopolitique)という概念を用いて、近代以降の政治を再検討しています。これらはいずれも、市民の生命・身体に権力が浸透する様子を指した概念で、極論すれば従わない者は殺すという形で権力を行使する古いタイプの政治に対し、国民の生を管理することで権力を浸透させる近代政治を特徴づけるものです。具体的には、学校・警察などの機構や、医療や公衆衛生などの施策を通して、生の管理が実践されます。

 

(10) コロナ時代の生政治の行方

 以上を踏まえて、現代に目を転じてみると、二つのことに気づきます。

 第一に、十七世紀ロンドンに生まれた市民が市民を監視するアナログな仕組みは、今日のデジタル監視システムの萌芽かもしれない、ということです。感染者の家に監視人を置くシステムは、現代において、新型コロナウイルス感染者との接触を知らせるスマートフォンアプリや、GPSなどのデジタル技術を通して実践されています。

 第二に、コロナ禍を機に生政治のあり方が変わるかもしれない、ということです。行政が国民の健康を細かく管理する方がよいのか、それとも介入は最小限に抑える方がよいのか。こうした問題については、始めから賛成・反対と旗幟を鮮明にするよりも、具体的な状況を冷静に検討しながら、正しいバランスを見出していくしかないのかもしれません。

 

 

<出典>

武田将明(2020/9)、デフォー『ペストの記憶』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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