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2020年9月20日日曜日

(2098)  治水の歴史 信玄の優れた「川除法」

 

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堤防を一直線ではなく、断続的に築いていった。大水のときには堤防と堤防の間からあふれた水が堤防背後の遊水地に流れ込む仕組みにした。川の水を押さえ込むのではなく、爆発的にあふれ出るのを緩和しようとした

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  信玄の治水術で特筆されることの一つは、この御勅使川の流路変更だ。御勅使川が釜無川に合流する少し手前で川を2つに分流させている。「将棋頭」という石堤を築き、水流を南北2つに分け、新御勅使川という流れを作り、その新御勅使川を釜無川に合流させているわけだが、そこは高岩と呼ばれる崖が連続するところで、そのまま洪水になるようなところではなかった。しかも、そこに「十六石」という巨石を置き、御勅使川の流れを弱める工夫もなされていた。

  そしてもう一つ、信玄の工夫として特筆されるのが堤防部分だった。普通、堤防というと、川の水が土手を越えないように高さを保ちながら連続して築かれる。水量が多く、水が堤防の高さを越えそうになれば、堤防をますます高くするというのが一般的だ。

  ところが、信玄堤は原理からいって違っていた。堤防を一直線ではなく、断続的に築いていったのだ。こうすることで、大水のときには堤防と堤防の間からあふれた水が堤防背後の遊水地に流れ込む仕組みになっていた。つまり、川の水を押さえ込むのではなく、爆発的にあふれ出るのを緩和しようというのが、そもそもの発想だった。

  こうして、新しい御勅使川と釜無川が合流する高岩付近から下流にかけて、およそ1800メートルの長さの断続的な堤防を築いた。しかも、注目されるのは、堤防上のところどころに神社を祀(まつ)っているのである。村人たちが神社に参詣することを計算し、人々が土手の上を歩くことによって、堤防そのものが踏み固められるという効果も狙っていたことになる。

  この不連続の断続的な堤防を「霞堤(かすみてい)」といっている。これが「信玄流川除法」の特徴で、適当な角度をつけて雁行状に築かれ、これによって水勢を弱める効果もあった。

 <出典>

治水の歴史 信玄の優れた「川除法」 小和田哲男氏

【iRONNA発】産経新聞(2020/08/24)

https://www.sankei.com/affairs/news/200824/afr2008240004-n1.html

 

添付図は、

https://eizan.jimdofree.com/%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%A0%A4/




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