◆ 最新投稿情報
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(K0545) 龍馬と、私と、介護福祉志士?! <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/10/k0545.html
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1.
『みだれ髪』とは
2. 鉄幹との出会い(1)
3. 鉄幹との出会い(2)
4. 熱にかわける御口を吸はむ
5. 情熱の歌人
6.
賛否両論
7.
今日的読み方
【展開】
1.
『みだれ髪』とは
===== 引用はじめ
与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』は、明治34年8月、明治の詩歌壇をリードした歌人の与謝野鉄幹(てっかん)の編集により刊行された。晶子22歳。女性初の単行本歌集ともなる『みだれ髪』は、恋の情熱、若さの輝きを誇らかに歌い上げ、近代短歌に新しい時代をひらいた。===== 引用おわり
2.
鉄幹との出会い(1)
===== 引用はじめ
関西を訪れた鉄幹に出会い、たちまち恋に落ちる。34年6月、鉄幹のもとに上京して以来、2カ月で『みだれ髪』がまとめられた。…
鉄幹には内縁の妻子がいた。家を捨て東京に出たからといって、幸せな未来が約束されていたわけではない。そんな中、命を削るようにして詠んだ歌だった。
===== 引用おわり
3.
鉄幹との出会い(2)
===== 引用はじめ
それまでおとなしく穏やかだった晶子の歌が、鉄幹の指導、添削でみるみるうちに個性を発揮していく。鉄幹にとって晶子は、理想をどんどん具体化し、言葉を与えてくれる存在だった===== 引用おわり
4.
熱にかわける御口を吸はむ
===== 引用はじめ
「病みませるうなじに繊(ほそ)きかひな捲(ま)きて熱にかわける御口(みくち)を吸はむ」まだ具体的に恋が始まる前、東京の鉄幹の病気を知って詠んだ歌。「あなたの首を抱いて、熱で渇いた唇を吸って潤してさしあげましょう」という大胆さだ
有名なところでは、
「その子二十(はたち)櫛(くし)にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」
===== 引用おわり
5.
情熱の歌人
===== 引用はじめ
晶子の「情熱の歌人」というイメージに加え、恋が大きな題材だった平安朝文学の継承者としての側面を指摘する。「晶子の目指した自我の発露や熱烈な恋の訴えは、平安朝の女性歌人たちの意識を当代に焼き直したものととらえることもできる」===== 引用おわり
6.
賛否両論
===== 引用はじめ
『みだれ髪』が刊行されると、賛否両論が巻き起こった。詩人の上田敏が「明星」誌上で称賛し、石川啄木、北原白秋、萩原朔太郎らが晶子を模倣した短歌を作るなど、文学青年の熱狂的な支持を受ける一方で、「乱倫の言」と激しい非難を浴びた。===== 引用おわり
7.
今日的読み方
===== 引用はじめ
新潮文庫版『みだれ髪』は、平成12年の刊行以来、4刷8万7千部を数える。角川文庫は昨年、新たに現代語訳を付けて絶版だった『みだれ髪』を復刊した。松平さん(*)は「今は若い人が悟ってしまって、生きる喜びを持てない空気がある。晶子は苦しみながらも、最後は強く自己肯定する。その強さを『みだれ髪』からくみ取ってもらえれば、明日を生きる力となるのでは」と話している。
===== 引用おわり
(*)新潮文庫版『みだれ髪』で訳を手がけた歌人の松平盟子(めいこ)さん
【プロフィル】与謝野晶子(よさの・あきこ)
明治11(1878)年、堺市生まれ。10代から始めた短歌が「明星」に載り、与謝野鉄幹と出会って結婚。処女歌集『みだれ髪』が反響を呼び、情熱の歌人として著名になる。五男六女を育てながら、小説、随筆、評論、童話、戯曲など多岐にわたり活躍。出征中の弟に寄せた詩「君死にたまふこと勿(なか)れ」、初の「源氏物語」現代語訳でも知られる。昭和17年、63歳で死去。
<引用>
与謝野晶子『みだれ髪』 強い自己肯定が生きる力に【明治の50冊】(32) 産経新聞(2018/10/15)
【明治の50冊】(32)与謝野晶子『みだれ髪』 強い自己肯定が生きる力に
https://www.sankei.com/life/news/181015/lif1810150018-n1.html
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