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2018年10月21日日曜日

(1397)  モンゴメリ「赤毛のアン」(4-2)(解説4) / 100分de名著

 
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(K0538)  深刻な人手不足(しかし、給料は上がらない) <高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/10/k0538.html
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第4回  22日放送/ 24日再放送

  タイトル: 宝物は足もとにある!
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


ここでは、5個のテーマを取り上げます。
 
A)  グリット(GRIT)
B)  これを避けず勇敢にそれを迎えて生涯の友としよう
C)  夢のあり方が変わったのよ
D)  曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの
E)  「普通」の日々の中にある、底光りするような幸福
 

【展開】

A)  グリット(GRIT)

===== 引用はじめ
 クイーン学院に入学したアンは、… 通常二年かかる一級師範免許を一年で取得することに決めて、またもや猛勉強に励みます。 …
 アンはさらに、エイヴリー奨学金を目標に定めます。これを獲得すればレドモンド大学の文学部に入学することができ、しかも大学在学中の四年間奨学金を受けることができるのです。 …

 モンゴメリ自身も二年かかる師範免許を一年コースで取得しています。 …

 近頃、心理学で注目されている言葉に「グリット(GRIT)」という単語があります。日本語では『やり抜く力』(…)と訳されていますが、どんなに失敗しても、挫折してもあきらめない強い意志は、モンゴメリとアンに共通するものでしょう。
===== 引用おわり
 

B)  これを避けず勇敢にそれを迎えて生涯の友としよう

===== 引用はじめ
 次々と押し寄せる予想外の出来事(*1)のなかで、アンは自分の部屋の窓際に腰掛け、アヴォンリーに戻った翌晩の、「希望とよろこびにあふれ、未来はばら色に輝いていた」瞬間(*2)を思い出します。涙と重苦しい心を抱え、あの時からもう何年も経ったように感じられるのでした。
 ところが、しだいにアンの唇には微笑が浮かんできます。心には平和が訪れ、自分のすべきことがはっきり見えてきたのです。「これを避けず勇敢にそれを迎えて生涯の友としよう」とアンは決心します。モンゴメリは続けて「義務もそれに率直にぶつかるときには友となるのである」と書いています。
===== 引用おわり
(*1) アベイ銀行の破産、マシュウの死亡、マリラの目の悪化
(*2) エイヴリー奨学金を獲得し、レドモンド大学に入学でき、四年間奨学金を受けられる
 

C)  夢のあり方が変わったのよ

===== 引用はじめ
 マリラは夢を見ているような顔をして聞いていた。
「ああ、アン、あんたがいてくれたらどんなに心強いかしれないけれど、そんなことできないわよ。私のためにあんたを犠牲にするなんて」
 アンの夢を壊すことに躊躇するマリラに、アンは「夢のあり方が変わったのよ」と言います。いい先生になって、マリラの視力を守っていく。そして独学で大学の課程を取るつもりなのだと宣言します。
===== 引用おわり
 

D)  曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの

===== 引用はじめ
 あたしがクイーンを出てくるときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲がり角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきなよいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか――どんな景色がひろがっているのか――どんな新しい美しさや曲り角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの
===== 引用おわり
 
 NHKの朝の連続テレビ小説『花子とアン』でもっとも私の印象に残ったのが、「曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思う」でした。

 その前後を読んでいま思うのは、「わからない」の色です。我々にとっては黒色だが、アンにとってはバラ色なのでしょう。それが「アン的素晴らしい生き方」の中心に来るのではないでしょうか。それはバラ色を想像する力なのかもしれません。そしてその想像を実現してしまう(未来あるいは曲り角の先をバラ色にする)アンの物語に私たちは魅せられているのではないでしょうか。
 

E)  「普通」の日々の中にある、底光りするような幸福

===== 引用はじめ
 … ところが、実際に大人になってみると、家のローンに追われていたり、会社の人間関係に悩んだり、なんだか普通になってしまった、と感じることがあります。
 そうした普通の人生と、夢や希望をかなえた人生――会社をつくって成功するとか、表現者として認められるとか――は、対等であるということがわかる瞬間があって、そのことに気づいた人こそが幸せなのではないでしょうか。その意味で、『赤毛のアン』の結末は、「普通」の日々の中にある、底光りするような幸福を描くことに成功していると思います。
===== 引用おわり
 


<出典>
茂木健一郎(2018/10)、モンゴメリ「赤毛のアン」、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
 
 写真は、「曲り角をまがったさき」の私のイメージ。インターネットから、これぞと思う写真を抜き出した。

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