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(K0525) 「在宅」シフト政策 <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/10/k0525.html
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(1) 東京では、貧民が多数派だ
(2) 詳細なデータで列挙する
(3) 記述も具体的である
(4) ブラック企業を、あえて非難はしない
(5) 繰り返し登場するのが教育問題
(6) 「日本の社会運動」という一文で結んだ
(7) 重版されることはなかった。再評価されたのは戦後
【展開】
(1) 東京では、貧民が多数派だ
===== 引用はじめ
〈東京市十五区、戸数二十九万八千、現在人口百三十六万余(中略)多数は生活に如意ならざる下層の階級に属す>明治32年に刊行された『日本の下層社会』は、そう書き出される。巨大な建物が並び、華やかに栄える東京だが、生活に苦しんでいない人は少なく、貧民が多数派だ、と。
===== 引用おわり
(2) 詳細なデータで列挙する
===== 引用はじめ
特徴は、詳細なデータを列挙すること。東京の三大貧民窟で戸数、人口、男女比を数える。日稼人足(ひかせぎにんそく)、車夫、くず拾い、芸人…さまざまな職業の賃金を聞き取って表にする。それが説得力抜群。===== 引用おわり
(3) 記述も具体的である
===== 引用はじめ
桐生・足利地方の織物工場や阪神地方の燐寸(まっち)工場などを取材したルポも、微に入り細をうがつ。原料の仕入れ値や商品の価格、職工の年齢分布、賃金や労働条件などを、契約書の条文まで例示しながら説明する。===== 引用おわり
(4) ブラック企業を、あえて非難はしない
===== 引用はじめ
その労働環境は、現代の感覚ではブラック企業そのものだが、横山はあえて非難はしない。〈是非を言わざるべし。一に読者の判断に委(まか)す〉。もちろん問題意識は明確で、現実を知らしめることが社会への提言となっていた。===== 引用おわり
(5) 繰り返し登場するのが教育問題
===== 引用はじめ
繰り返し登場するのが教育問題。非就学者に教育を施す慈善事業の例などを示し〈貧民のために喜ぶべきことなるのみならず社会のために賀すべきこと〉と記したりする。働きながら夜学に通っていた職工3人の手蹟(しゅせき)(書いた文字)が付されていて、強い印象を残す。14歳から16歳だったという彼らの字はつたない。一画一画から懸命さが伝わってくる。
===== 引用おわり
(6) 「日本の社会運動」という一文で結んだ
===== 引用はじめ
横山は、巻末に「日本の社会運動」という一文を付して〈政治社会の腐敗を叫破(きょうは)し、平民政治を開きて下層社会の幸福を謀(はか)らん〉と結んだ。「いろいろ調べていくうちに、もっと大きい目で捉えなきゃいけないと思うようになった。そこで、労働運動というものが横山の中に出てきた」と岩渕(*)さんは解説する。===== 引用おわり
(*)岩渕剛(文芸評論家)
(7) 名著だが、重版されることはなかった。再評価されたのは戦後
===== 引用はじめ
社会を良くしたい-。行間からあふれる情熱は現代人にも素直に共感できる。横山の記した文章は、労働者の苦境に光を当て、本書によって横山は労働問題研究の第一人者とうたわれた。しかし、高い評価は知識層にとどまり、重版されることはなかったという。立花雄一の著書『横山源之助伝』によると、〈いらい、半世紀忘れられた〉。名著として、再評価されたのは戦後になってからだという。
岩波文庫版は初版が昭和24年に刊行。岩波書店によると、途切れることなく版を重ねていて、累計では61版18万部。明治期の優れたルポルタージュとして定評を得ている。
===== 引用おわり
【プロフィル】横山源之助(よこやま・げんのすけ)
明治4年、富山県魚津町(現魚津市)生まれ。父母不詳、養父母のもとで育つ。15歳で法律家を志して上京。二葉亭四迷や松原岩五郎の影響で社会・労働問題に興味を持ち、新聞でルポルタージュを書き始める。32年に『日本の下層社会』『内地雑居後の日本』を相次いで上梓。その後も社会問題を主題にさまざまなルポを書いた。大正4年、44歳で死去。<引用>
横山源之助「日本の下層社会」 緻密な取材で示す貧困の構図
【明治の50冊】(28) 産経新聞(2018/09/24)
(28)横山源之助『日本の下層社会』 緻密な取材で示す貧困の構図
https://www.sankei.com/life/news/180917/lif1809170008-n1.html
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