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(K0532) 社会的な孤立と閉じこもり傾向が重積すると、死亡リスクは2倍 <社会的健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/10/k0532.html
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1.
執筆の経緯
1.1. 「太平洋の懸け橋とならん」
1.2. 宗教教育のない日本での道徳教育
2.
内容
2.1. 7つの要素(義・勇気・慈悲・礼・誠実、・名誉・忠誠)
2.2. 西欧文化にも共通する普遍的なものである2.3. 力点、着眼
3.
海外での読まれ方
3.1. 1899年、英語で著し、米国で出版した
3.2. セオドア・ルーズベルトは60冊購入した3.3. 欧州でも続々と翻訳された
4.
国内での読まれ方
4.1. 日本語訳は、1908年
4.2. 意図とは違う読まれ方、本来の読まれ方4.3. 現在でも、年に1~2回増刷されている
【展開】
1. 執筆の経緯
1.1. 「太平洋の懸け橋とならん」
===== 引用はじめ
「太平洋の架け橋とならん。… 『武士道』はドイツで親交を結んだベルギー人法学者との会話から生まれた。===== 引用おわり
1.2. 宗教教育のない日本での道徳教育
===== 引用はじめ
ある日のこと、「宗教教育のない日本では、どうやって道徳を授けるのか」と問われた新渡戸はひどくとまどう。そして何が自分の善悪の観念のもとになったかを振り返ってみる。そこで浮かび上がってきたのが武士道だった。===== 引用おわり
2.
内容
2.1. 7つの要素(義・勇気・慈悲・礼・誠実、・名誉・忠誠)
===== 引用はじめ
武士道が重んじた義、勇気、慈悲、礼、誠実、名誉、忠誠という7つの要素とそれに付随する要素について解説する。===== 引用おわり
2.2. 西欧文化にも共通する普遍的なものである
===== 引用はじめ
「武士道というと日本固有のもの、と考えられがちですが、新渡戸は、その特殊性ではなく、西欧文化にも共通する普遍的なものであることを強調しようとしました」===== 引用おわり
2.3. 力点、着眼
===== 引用はじめ
新渡戸は7つの要素のうち、武の要素は抑制的に書き、人格的要素の方に力点を置く。加えて、武士道が過去の一階級文化にとどまるものではなく、商道徳にも影響を与えていることも論じるなど、貿易で生じる軋轢(あつれき)といった現在進行形の問題について相互理解を求めた。「太平洋の架け橋」を目指した新渡戸らしい筆の運びだ。
女性に関しても1章を割いている。「男女平等とは言えませんが、武士道の精神は決して男尊女卑ではなく役割分担であるとの理解を示し、…
===== 引用おわり
3.
海外での読まれ方
3.1. 1899年、英語で著し、米国で出版した
===== 引用はじめ
1899年、米国フィラデルフィアの出版社から英語で著した『武士道』(原題は「BUSHIDO The Soul of Japan」)を出版する。===== 引用おわり
3.2. セオドア・ルーズベルトは60冊購入した
===== 引用はじめ
後に日露戦争の停戦を仲介してノーベル平和賞を受けることになる米国大統領、セオドア・ルーズベルトは60冊購入して政府・軍関係者や知人に配ったという。===== 引用おわり
3.3. 欧州でも続々と翻訳された
===== 引用はじめ
数年のうちにドイツ語、ポーランド語、フランス語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、イタリア語に翻訳された。出版から6年後には日露戦争で日本が勝ち、多くの国が続々と自国語に翻訳して、日本の秘密を探ろうとした。===== 引用おわり
4.
国内での読まれ方
4.1. 日本語訳は、1908年
===== 引用はじめ
日本では米国版の翌年に英語版『武士道』が出版されるが、日本語訳は1908(明治41)年になってやっと登場する。===== 引用おわり
4.2. 意図とは違う読まれ方、本来の読まれ方
===== 引用はじめ
日中戦争のさなか、大東亜戦争前夜 … 同書は新渡戸の意図から離れて「武」の側面が強調して読まれてしまう。敗戦後、平和を志向するわが国において、『武士道』はやっと本来の読まれ方をされるようになる。
===== 引用おわり
4.3. 現在でも、年に1~2回増刷されている
===== 引用はじめ
日本が日本らしさを失いつつある現代にあっては、「日本とは、日本人とは」と問う人々に、確かなヒントを提供する著作として生き続ける。岩波文庫は現在も年に1~2回増刷され、現時点で105刷74万部に達している===== 引用おわり
【プロフィル】新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)
文久2(1862)年、盛岡市生まれ。札幌農学校時代にキリスト教に入信。米独留学を経て、札幌農学校教授、台湾総督府技師、第一高等学校校長、東京帝大教授、東京女子大学長などを歴任。大正9年に国際連盟事務次長、昭和4年に太平洋問題調査会理事長となり、国際理解と平和のために尽力する。8年、カナダでの太平洋問題調査会会議に日本代表団団長として参加、会議終了後同地で倒れ逝去。主著に『農業本論』『修養』など。
<引用>
新渡戸稲造『武士道』 「日本人とは」に答え続けて【明治の50冊】(30) 産経新聞(2018/10/01)
(30)新渡戸稲造『武士道』「日本人とは」に答え続けて
https://www.sankei.com/life/news/181001/lif1810010014-n1.html
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