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2021年4月29日木曜日

(2319)  三島由紀夫『金閣寺』(1-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1460)  老人力の発見 / 「老人力」(1) <仕上期>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1460-1.html

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☆☆

三島は必ずしも最初から右派だったのではありません。三島の右傾化は、31歳で『金閣寺』を執筆し、10年間にわたる戦後社会への適応の努力を経た後、40代になって一気に変わり、加速してゆきます

☆☆

 

第1回  3日放送/ 5日再放送

  タイトル: 美と劣等感のはざまで

 

 

【テキストの項目】

(1)   戦後社会への接続を目指して

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

(3)   主人公が抱えた疎外感

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 

(7)   女の顔と「切株」

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

(10) 金閣との「共滅願望」

(11) 頻出する「のぞき」の場面

(12) 現実感覚を持った母の野心

(13) 金閣が象徴するもの

 

【展開】

 

(1)   戦後社会への接続を目指して

 若い三島を評価してデビューのきっかけを作ったのは、日本浪曼派と言われる、戦中の国文学者を中心とした文学グループです。ところが、戦後になると日本浪曼派は、皇国史観に基づいて戦争を賛美した保田らの言動から、全否定されます。日本浪曼派界隈で天才少年扱いをされていた三島は、二十歳にして早くも時代に取り残されてしまうのです。

 『仮面の告白』で復活を果たした三島が、いよいよ作家として勝負を賭けて、自らの代表作を書くという意気込みで取り組んだのが、今回取り上げる『金閣寺』でした。

 

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

 三島の「創作ノート」を見てみると、冒頭には次のような主題が掲げられています。「美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬/相対性の波にうづもれた男。/「絶対性を滅ぼすこと」/「絶対の探究」のパロディー」。「美への嫉妬」という主題は、林養賢の動機をそのまま引き受けたものです。

 「絶対性を滅ぼすこと」をどのように理解すればよいか。金閣こそが天皇の隠喩なのではないか。金閣を焼くことは絶対性を滅ぼすことであり、戦前戦中に確かに存在していた天皇という絶対性を、この小説をもつて自分の中で否定し、戦後社会を新たに生きていきたい …

 

(3)   主人公が抱えた疎外感

 『金閣寺』の主人公の溝口は体が弱く、運動が不得意で、更に生まれつきの「吃り」のため、社会とのコミュニケーションがうまくいかないという人物です。「醜さ」は、彼の大きなコンプレツクスでした。肉体虚弱という設定は、三島本人と共通するところがあります。

 一方、吃音はモデルの林養賢に出来する設定ですが、三島が最も得意としたのは言語によるコミュニケーションでした。言葉を自由に使えないために疎外されたという設定が、この小説が優れたフィクションへと発展していくきっかけになったと思います。

 

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

 この小説に於いて、実際に見た金閣は美しかったというところから物語が始まらないのは極めて重要です。自分が心に思い描いた〈心象の金閣〉と、〈現実の金閣〉が合致していないのではないか。このことに溝回は悩み続けることになります。

 もう一つ、冒頭で注目されるのは父親の存在です。『金閣寺』の主人公である溝口の父親は、決して立派な人物ではなく、ただ金閣の美だけにすがり、その中に閉じこもって生きているような人間でした。溝口は、金閣の美に閉じこもるという世界観を受け継いでしまうのです。

 

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

 三島が一人称で書いた長編小説は、実は『仮面の告白』と『金閣寺』だけです。一人称体では、余計なことを書かなくていい。一人称であれば、時代背景は主人公の主観的な認識の中に収まり、且つ、主人公が感じていることや考えていることをそのまま書けるという利点があります。

 三島は三人称体で書くことを好みましたが、僕(=解説者)は一人称で書く時の三島が一番魅力的だと感じます。表には現れない人間の心理分析が得意で、複雑な思想を抱いていた三島の良さが、最もよく表れていると思うからです。

 

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 『金閣寺』はとても級密に構成されていて、まるで音楽のソナタ形式のように、一つの主題が小説の中で繰り返し描かれます。その主題とは、美しい存在が主人公を拒絶し、その存在を主人公が破壊する、というものです。

 溝口は美しい有為子を心象の中では自分のものにできるけれど、現実にアプローチしようとすると、けんもほろろに拒絶されてしまう。この美しい有為子も結局は滅ぼされてしまう。これも、金閣が焼けるという最後の場面の前触れであると言えるでしょう。

 

 以下は、後に書きます。

(7)   女の顔と「切株」

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

(10) 金閣との「共滅願望」

(11) 頻出する「のぞき」の場面

(12) 現実感覚を持った母の野心

(13) 金閣が象徴するもの

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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