◆ 最新投稿情報
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(K1457) (1)録音した「ぶら下がりに行くぞ」 / 超老老介護の自殺幇助 <老々介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1457-1.html
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私が神に求めたものを与えられていたら、私の願いも祈りも叶えられなかっただろう。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」を授かったからこそ、私は正しい生き方を見出し、その結果として私の願いは聞きどけられた
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前回からの続き
では、
「人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと 命(人生)を授かった」
とは、何を言おうとしているのか。
一行目は、「私はAになるように神にBを求めたのに」に対応する。Aは「人生を楽しもうとする」私の願いだ。
二行目の後半「命(人生)を授かった」は、Dに対応する。神から与えられたのは「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」の人生である。それは「あらゆることを喜べる」に直接は結び付かない。「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」そのものを喜べる人は、あまりいないのではないか。
もともと言っていたのは「CであるようにとD(Bと反対のもの)を私に授けた」である。すなわち、Dから得られたものは、C「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」である。これが得られると何が起こるか。
「心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた」という。これは言い表されていないものであり、Eとする。Aは「人生を楽しもうとして」として得ようとした個人的に願いであった。一方、「謙虚を学ぶ」「より良きことをする」「賢明である」「得意にならない(神の手助けを求める)」は、万人のためになるものであり、「あらゆることを喜べるよう」なものであり、それは、Eであり、祈りである。
Eは「大きなことを成し遂げる」「偉大なことができる」ことであり、「世の人々の称賛を得る」ところとなり、彼(彼女)は「幸せになる」ことができた。すなわち、結果としてAが得られた。すなわち、「願いはすべて聞き届けられた」。
このシリーズ、終わり。
<引用>
(2313) ある無名兵士の詩
http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2313.html
(2315) 「ある無名兵士の詩」の構造(1)
http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/23151.html
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