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2021年4月10日土曜日

(2299)  渋沢栄一『論語と算盤』(2-2) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1440)  (4)「死生懇話会」の様子 / 第1回「死生懇話会」(滋賀県) <死生>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1440-41.html

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「昔はよかった」と言わない渋沢栄一という人は、志が高く、常に自分のことを「まだまだ道半ばだ」と考える人でした。そして、どんなことに対しても、自分ごととしてその責任を引き受ける人でもありました

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第2回  12日放送/ 14日再放送

  タイトル: 「信用」で経済を回せ

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)  「日本人は約束を守らない」

(2)   渋沢が目指したフランス式経済政策

(3)   急激な資本主義化の弊害

(4)   封建制度の影響

(5)   信用は「論語」と「算盤」の共通点

 

(6)   良き行動のルールを習慣化する

(7)  「智、情、意」でつくる常識

(8)   現実から学べ

(9)  「誰が信用できるか」という難問

(10)知識偏重教育の問題点

 

【展開】

(1)  「日本人は約束を守らない」

(2)   渋沢が目指したフランス式経済政策

(3)   急激な資本主義化の弊害

(4)   封建制度の影響

(5)   信用は「論語」と「算盤」の共通点

 以上は、既に書きました。

 

(6)   良き行動のルールを習慣化する

 個人の場合、信用の基礎になるのは、やはり道徳です。 … 道徳という言葉はいろいろな定義ができますが、ここでは仮に「対人関係の中での良き行動のルール」と解釈して使っていきます。たとえば、約束を破らない、嘘をつかない、困っている人を助ける、といつたことです。渋沢は、このルールを習慣化することの大切さを語っています。

 もともと習慣とは、人の普段からの振舞いが積み重なって、身に染みついたものだ。このため、自分の心の働きに対しても、習慣は影響を及ぼしていく。悪い習慣を多く持つと悪人となるというように、最終的にはその人の人格にも関係してくる。だからこそ、誰しも普段からよい習慣を身につけるように心掛けるのは、人として社会で生きていくために大切なことだろう。

 

(7)  「智、情、意」でつくる常識

 人と人とが信頼関係を築くために「誰もが納得できる常識をつくる」。大切なことは、

 「智、情、意(知恵、情愛、意志)」

の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。

 人の心を分析して、「智、情、意」の三つに分類するというのは、心理学者の説に基づくものだが、この三つの調和がいらないという者など誰もいないだろう。知恵と情愛と意志の三つがあってこそ、人間社会で活動ができ、現実に成果をあげていけるものである。

 

(8)   現実から学べ

 現代において自分を磨くこととは、現実のなかでの努力と勤勉によって、知恵や道徳を完壁にしていくことなのだ。つまり、精神面の鍛練に力を入れつつ、知識や見識を磨きあげていくわけだ。しかもそれは自分一人のためばかりでなく、一村一町、大は国家の興隆に貢献するものでなくてはならない。

 私たちは「学ぶ」と聞くと、どうしても先生や本から知識を吸収することをイメージしがちです。しかし渋沢は「知識や学問だけで成功できると思うのは誤解でしかない」「机に座って読書するだけを学問だと思うのはまったく間違っている」と指摘します。現実の中で、経験から知恵や道徳を学ぶことを重視していたのです。

 

(9)  「誰が信用できるか」という難問

 わたしが実業界の人間となって以来、出会う人も年々その数を増している。それらの人々は、わたしの行いを見習って、おのおの得意なところで事業に励んで欲しいと思っている。そうすれば、たとえその人は自分の利益しか目的にしていなくても、その事業が正しいものである限り結果として国家や社会のためになるだろう。だからわたしは、そうした志にはなるべく共感を持ち、目的を達成させてやりたいと思っている。

 一個人の生き方においては、結果よりも過程に価値があります。しかし、経営者や政治家といった、影響力を広範囲に及ぼす人の生き方は、そうはいきません。いくら人柄が良くても、会社を破綻させてしまう経営者では困る。国を傾けてしまう指導者では困る。

 

(10)知識偏重教育の問題点

 明治に入り、道徳が機能しなくなった原因は、若者の教育にもあると考えていた: 道徳を育む方向性が欠けている。「自分の心を磨く」から始まる人の歩むべき道の意味を教えていない

 近代という時代が抱える「競争社会をどう生きるか」という問題を憂慮していた: 福沢諭吉の「人間は誰でも勉学に努めれば立身出世できる」が広まったが、現実はそうではなかった。

 立身出世が叶わなかった場合にどうするかまでも、考えの射程に入れていた: 遥かな高みに届かなくても、努力して到達した場所を自分の分として、そこで役割を果たしていく

 「今の若い者はだらしがない」といった言葉を渋沢が発することはなかった: 今の青年のなかにも立派なものもいれば、昔の成年のなかにも立派でない者もいた。社会が異なっている。

 

 

<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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