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2021年4月2日金曜日

(2291)  渋沢栄一『論語と算盤』(1-1) / 100分de名著

 

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『論語』で一生を貫いてみせる。この言葉を違えることなく、彼は、『論語』に象徴される道徳や公益性を追求しながら、「算盤」に象徴される実業やビジネスに邁進する人生を全うしました。その前半生の軌跡を追う

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第1回  5日放送/ 7日再放送

  タイトル: 高い志が行動原理を培う

 

 

【テキストの項目】

(1)  「順風満帆」ではなかった前半生

(2)   渋沢栄一と「論語と算盤」の出合い

(3)  「武士になる」――十六歳で立てた志

(4)   大きな志と小さな志

(5)   討幕の志士から一橋家の家臣へ

(6)  「私は逆境の人になってしまった」

 

(7)   可能性で立てる志、限界を知って見える天命

(8)   志のために――自ら箸を取る

(9)   逆境も自分の「分」と考える

(10) すべきことは楽しみながら

(11) 人の価値は志へ向かう歩みにある

 

【展開】

(1)  「順風満帆」ではなかった前半生

 渋沢栄一はいわば「日本近代の建設者」とでもいうべき偉人にほかなりません。

 彼は明治政府の大蔵官僚として、度量衡や貨幣制度の統一、租税制度の改正、鉄道敷設、近代的銀行制度の創設など、現在の日本の礎となる多くの政策に携わり、その後約五百の会社、約六百の社会事業の設立や運営にかかわりました。しかし意外にも渋沢栄一は、エリート街道を一直線に進み、順風満帆な人生を送った人ではありませんでした。

 第1回では、『論語と算盤』を通して、渋沢の激動の前半生を振り返ります。そして、彼の人生を貫いた高い志と行動原理を分析し、私たちが揺れ動く現代を生きるヒントを探っていきたいと思います。

 

(2)   渋沢栄一と「論語と算盤」の出合い

 学者の三島毅先生が、わたしの自宅にいらっしゃって、その絵(『論語』の本とソロバンが描かれている画帳)を見られると、こう言われた。

「とても面白い。わたしは『論語』を読む方で、おまえはソロバンを探究している方だ。そのソロバンを持つ人が『論語』のような本を立派に語る以上は、自分もまた『論語』だけで済ませず、ソロバンの方も大いにきわめなければならない。だから、お前とともに『論語』とソロバンをなるべくくっつけるように努めよう」

 そのうえ、『論語』とソロバンについて、道理と事実と利益とは必ず一致するものであることを、さまざまな例証をそえて本格的な文章に書いてくださった。

 

(3)  「武士になる」――十六歳で立てた志

 父の代理として代官所に赴いた渋沢は、五百両のご用金を出すように言われ、「お申し付けは分かりましたが、父には『ご用を聞いてこい』と言われただけなので、即答はできません」と答えます。ところがこれを聞いた代官は、彼を回汚くののしり、馬鹿にしたのです。

 この時、渋沢は非常に悔しい思いをしました。そして同時に、こうした扱いを受けることになった原因が、徳川幕府の政治にあると考えるに至ります。

 … 憤りのような感情も芽生えてきて、低い身分で終わるのがいかにも情けなく感じられ、いよいよ武士になろうという気持ちを強めていった。注目すべきは、彼が、単に武士になりたがっていたのではなく、武士になり、政治に直接かかわることを強く意識していたという点です。

 

(4)   大きな志と小さな志

 一見右往左往しているように見える渋沢の前半生には、志に対する考え方が影響します。

 渋沢が十六歳で立てた大きな志は「武士、つまり為政者になって良い国をつくりたい」というものでした。しかし、もう少し時代が下ると、彼は、自分は政治には向いていないと考えるようになります。当初の志から「為政者になって」の部分を削ると、残るのは「良い国をつくりたい」。つまり、繁栄した国、人々が幸せに暮らせる国をつくりたい、欧米列強に植民地にされないような国にしたい、という志にたどりつき、彼はその志を生涯持ち続けます。

 大きな志を実現するためには、その道のりの途中で、小さな志が必要になります。渋沢にとって小さな志は、大きな志に比べて、捨ててもよいものもの、変えても構わないものでした。

 

(5)   討幕の志士から一橋家の家臣へ

 高崎城襲撃と横浜焼き討ちを断念した渋沢は、一橋家の家臣にならないか、と誘いを受けました。渋沢は考え方を百八十度変えて、一橋家に仕官することを決意します。

 彼の最終的な志は、「強く繁栄した日本をつくること」であり、「徳川幕府を倒すこと」ではなかつたからです。

 この時の渋沢にとって、倒幕は、国を繁栄させる「手段」に過ぎません。当時の一橋家の当主は、一橋慶喜。徳川家康以来の英傑と評され、非常に優秀な人物でした。慶喜なら幕府をうまく形骸化し、国を繁栄させる礎を築いてくれるに違いない。幕府が残った状態でも、強く繁栄した日本がつくれるのなら、それでいい。仕官することを決めた時、渋沢は、そう考えていました。

 

(6)  「私は逆境の人になってしまった」

 わたしは、最初は尊王討幕(天皇を奉じて徳川幕府を討つ)や攘夷鎖港(外国を打ち払い鎖国する)を論じて、東西を走り回っていた。しかし、後には一橋家の家来となって幕府臣下に加わり、その後に民部公子・徳川昭武に随行してフランスに渡航したのである。ところが日本に帰ってみれば幕府はすでに亡びて、世は王政に変わっていた。

 この間の変化にさいして、もしかしたら自分には知恵や能力の足りないこともあったかもしれない。しかし勉強の点については、自己の力一杯にやったつもりで不足はなかったと思う。それなのに、社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると、それをどうすることもできず、わたしは何とも逆境の人となってしまったのである。

 

 以下は、後に書きます。

(7)   可能性で立てる志、限界を知って見える天命

(8)   志のために――自ら箸を取る

(9)   逆境も自分の「分」と考える

(10) すべきことは楽しみながら

(11) 人の価値は志へ向かう歩みにある

 

<出典>

守屋淳(2021/4)、渋沢栄一『論語と算盤』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

関連ブログ(同じ):

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/04/k1432-blog-3.html



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