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2021年3月19日金曜日

(2277)  『100分de災害を考える』(4-1) / 100分de名著

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(K1418)  高齢化社会 軽くでも体を動かし続けることが大切 <体の健康>

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生きていることが素晴らしかったりつまらなかったりするのは、自分がそれを素晴らしいと思ったり、つまらないと思ったりしているからなんだ。いったい他の誰が、自分の代わりにそう思うことができるのだろうか

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第4回  22日放送/ 24日再放送

  タイトル: 池田晶子『14歳からの哲学』--「自己」とのつながり

 

 

【テキストの項目】

(1)   大事なことは平易な姿をしている

(2)  「おもう」から「考える」へ

(3)  「言葉の意味」を考える

 

(4)  「自分」は死ぬのだろうか

(5)   わからないことから始まる

(6)  「分かる」とは、変わること

 

【展開】

 そして最後に、私たちは真の意味で「自分/自己」とのつながりを確かめなくてはなりません。そのことを平易な、しかし熱い言葉で書き記しているのが池田晶子の『14歳からの哲学』です。大きな危機に直面したとき、私たちは生きる意味や指針を自分の外に求め、情報や知識をたよりにしがちです。しかし、池田晶子はそうした態度を強く戒めます。私たち自身に留まって、存在のありようを深く確かめること、そのこと自体が真理の発見を導くというのです。

 

(1)   事なことは平易な姿をしている

 『14歳からの哲学――考えるための教科書』は、これから十四歳になろうとする実在の「君」に語りかけるように書かれた著作で、難解な哲学用語も引用も、ほとんど出てきません。ありのままの生活の深部を覗こうとするのですから、彼女が用いる言語もじつに平易です。

 この本は、読者が何歳であったとしても、内なる十四歳の眼を開くように促してきます。それは、自分にとって切実な問題としっかりと向き合うまなざしといってもよいかもしれません。

 十四歳の眼は、通常では見通すことのできないものを見つめます。そして、知ることに留まらず、その奥にあるものを感じようとします。自分の経験をたよりにしながら、全身全霊でそれと対峙します。

 

(2)  「おもう」から「考える」へ

 池田晶子は、「おもう」は「不思議な感じの出てくるところ」だと書いています。つまり「おもう」とは、自分のなかにある「不思議な感じ」を体感する行為なのです。さらに池田は、その体感から哲学は始まったのだと述べ、「おもう」ことから「考える」ことへと「君」を誘います。「考える」ことの意義をめぐって、「悩む」ことと対比させつつ語る一節を読んでみたいと思います。

 もし本当にそれがわからないことなのだったら、君は、悩むのではなくて、考えるべきなんじゃないだろうか。あれこれ思い悩むのではなくて、しっかりと考えるべきなんじゃないだろうか。

 考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。

 

(3)  「言葉の意味」を考える

 「考える」と並んで、池田晶子が大切にしたのは「言葉」という言葉です。私たちは「考える」ときに言葉を使います。言葉を使って考え、他者と対話し、書物を読む。そして、言葉はときに、はっきりと語られていないものを伝えることがある不思議なものです。

 このことからわかるのは、何か目に見える物を意味する言葉でも、その言葉の意味は、決して目に見える物ではないということだ。いいえ、私は目の前に犬の姿をありありと思い浮かべられますと言う人もいるだろう。でも、その犬の姿を、手でさわることはやっぱりできないね。つまり、言葉の意味というものは、日に見えて手でさわれるこの現実の世界には、存在していないということなんだ。意味というのは、別の世界に存在するものなんだ。

 

 以下は、後に書きます。

(4)  「自分」は死ぬのだろうか

(5)   わからないことから始まる

(6)  「分かる」とは、変わること

 

<出典>

若松英輔(2021/3)、『100de災害を考える』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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