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(K1371) 眠ってばかりの状態から旅立つこと(11) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/01/k1371-11.html
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一つの国語を話すということは、一つの世界、一つの文化を引き受けるということである。白人になりたいと思うアンティル人は、言語という文化の道具をわがものにすればするほど白人に近づくであろう
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第1回 1日放送/ 3日再放送
タイトル: 言語をめぐる葛藤
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) マルティニークの少年
(2) 「座礁した船」――フォール・ド・フランス
(3) 古くからの植民地
(4) 支配される者の言語感覚
(5) フランス語への憧憬、クレオール語の否定
(6) 対等にふるまうことの困難
(7) 真実を語る手段としての言語
【展開】
(1) マルティニークの少年
(2) 「座礁した船」--フォール・ド・フランス
(3) 古くからの植民地
(4) 支配される者の言語感覚
さまざまな言語が混じり合う多様で流動的なプランテーションの環境のなかから、独自の言語クレオール語が誕生します。クレオール語が、マルティニークとグアドループで暮らす人々の母語になったのです。ところが、このクレオール語は長いあいだ、多くの人々が日常的に使用しているにもかかわらず、黒人の話すフランス語もどきの劣った言語として貶められてきました。
フランス語は支配者の言葉です。支配される側、劣位に置かれた側が、支配する側に近づきたい、そちらの側に属したいと願うのは人の自然の感情でしょう。そのためにはどうしたらよいでしょうか。まず支配者言語を習得しなければなりません。それがいちばん確実な方法です。
(5) フランス語への憧憬、クレオール語の否定
奴隷制に支えられた植民地支配が、被支配者であった黒人のあいだに、支配者=白人のフランス語に憧れ、クレオール語を奴隷の言語として嫌悪するような自己否定的な言語観を植え付けてしまったのです。
片言のフランス語で話しかけられることによって、話しかけられた相手は単純な言葉遣いでしか話せない、素朴で陽気だが知的に劣った未開の存在に閉じ込められてしまうのです。ファノンは子供向けの絵本や映画、それから広告にそうしたステレオタイプが溢れていることを指摘しています。とりわけ有名なのは、「バナニア」というチョコレート飲料の広告で、「おいしいバナニアあるよ!
y’a Banania!」という文法的に間違ったフランス語とともに描かれた、白い歯を見せて笑う黒人(セネガル兵)のイラストです。
(6) 対等にふるまうことの困難
語りかけるときに使われる言葉遣いで、相手へのゆがんだ差別意識があらわになるというファノンの指摘は重要です。僕たちもまた、自らの差別的意識に気づかずに他者に話しかけていることはないでしょうか。たとえば、外国人に対して、あるいは自分とはちがう性的指向の人に対して話しかけるときに、気づかないうちに差別的な態度を示していることはないでしょうか。
人間はどんな肌の色であろうが、みな平等だというのがファノンの人間観です。『黒い皮膚・白い仮面』の主張の根幹にあるのは、疑う余地のないこの真実です。ファノンからすれば、「理想主義」でもなんでもない単純明快な事実です。それがどうして理解されず、白人は黒人を差別しつづけ、黒人は白人に対して劣等感を抱きつづけなくてはならないのか。
(7) 真実を語る手段としての言語
普遍的な真実には色はありません。それを運ぶ言語もまた然りです。そしてその言語は誰のものでもありません。だからこそ、黒人が洗練されたフランス語を話すことに驚く白人に対してファノンは苛立ったのです。
ファノンがフランス語を使いこなすのは、彼の郷里の人々のように自人に同化したいからではありません。そのような劣等感が生まれる歴史的・社会的・文化的な構造を、その心理の仕組みを、色の区別なく、つまり差別する側と差別される側の両方に理解してもらうためです。
ファノンはフランス語を使って白人になろうとしたのではありません。何かに、誰かに、自分以外のものになる必要などまったくなかったのです。人間であること以外に何の存在理由もいらないのです。
<出典>
小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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