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(K1369) 眠ってばかりの状態から旅立つこと(10) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/01/k1369-10.html
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ファノンがフランス領であったマルティニークで生まれたという事実はとても重要です。植民地という場所で生きていくなかで直面したさまざまな問題を真剣に考え抜くことから、『黒い皮膚・白い仮面』は書かれました
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第1回 1日放送/ 3日再放送
タイトル: 言語をめぐる葛藤
【テキストの項目】
(1) マルティニークの少年
(2) 「座礁した船」――フォール・ド・フランス
(3) 古くからの植民地
(4) 支配される者の言語感覚
(5) フランス語への憧憬、クレオール語の否定
(6) 対等にふるまうことの困難
(7) 真実を語る手段としての言語
【展開】
(1) マルティニークの少年
フランツ・ファノンは、1925年、フランス領のカリブ海に浮かぶ島の一つ、マルティニークの中心地フオール・ド・フランスに生まれました。マルティェークに暮らす多くの黒人がそうであるように、ファノンの父の祖先も奴隷でした。
ファノンは外向的な性格の運動好きの少年でした。サッカーが大好きで、仲間を集めてチームを作る一方で、仲間たちとグループを作って、イタズラをしたりチケツトを買わずに映画館に入ったり、敵対するグループと喧嘩したりする悪ガキでもありました。
思春期になると、サッカーと悪さから足は遠のき、町の中心のサヴアンナ広場のそばのシェルシェール図書館に足繁く通うようになります。そこでファノンは、十七世紀と十八世紀のフランス文学と哲学を読みふけります。
(2) 「座礁した船」--フォール・ド・フランス
『黒い皮膚・白い仮面』を、そしてフランツ・ファノンの思想を考える上で、ファノンがフランス領であったマルティニークで生まれたという事実はとても重要です。植民地という場所で生きていくなかで直面したさまざまな問題を真剣に考え抜くことから、『黒い皮膚・白い仮面』は書かれたと言えるからです。
「アルコールに爆砕され、この湾の泥の中に座礁し、そしてこの不吉に座礁した町の埃の中に座礁したアンティル諸島」(セゼール)。フォール・ド・フランスも否定的なイメージの波をただ浴びながら、どこにも行くことのできない坐礁した船のようです。しかしファノンはセゼールのこのセゼールの作品のなかに、自分の知っている故郷の姿をたしかに認めたのではないでしょうか。
(3) 古くからの植民地
ファノンにとつて無邪気に言祝ぐことのできない故郷、マルティニーク。ファノンが生まれたとき、マルティニークはフランス領でした。現在はフランスの海外県ですが、当時はその植民地だったのです。
カリブ海の植民地の歴史はずっと古いものです。そのため「古くからの植民地」などと呼ばれたりもします。小アンティル諸島に位置するマルティニークとグアドループの植民地化が始まるのは、1635年です。
以下は、後日書きます。
(4) 支配される者の言語感覚
(5) フランス語への憧憬、クレオール語の否定
(6) 対等にふるまうことの困難
(7) 真実を語る手段としての言語
<出典>
小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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