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2021年1月16日土曜日

(2216)  カール・マルクス『資本論』(3-2) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1357)  年齢要因 / 「国民の8割は65歳を超えても働きたい」なぜそんな統計結果が出るのか(1) <高齢期の仕事>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/01/k1357-8651.html

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「人間的および自然的存在の富全体に適応した人間的感覚」を取り戻そう。そのためには、「資本の専制」と「労働の疎外」を乗り越え、労働の自立性と豊かさを取り戻す「労働の民主制」を広げていく必要があります

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第3回  18日放送/ 20日再放送

  タイトル: イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を産む!?

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)   ケインズの楽観と悲観的な現実

(2)  「より安く」と圧力をかける資本主義

(3)   生産力の向上が生む「相対的剰余価値」

(4)   誰のためのイノベーションか

(5)  「分業」が労働者を無力化する

(6)   人間らしさを奪うテイラー主義

 

(7)  「機械」に奉仕する労働者

(8)   生産力向上で仕事にあぶれる

(9)  「経営者目標」や「AIがもたらす自由」のウソ

(10) 自律性を取り戻せ!

(11) 給食を守る取り組み

 

【展開】

(1)   ケインズの楽観と悲観的な現実

(2)  「より安く」と圧力をかける資本主義

(3)   生産力の向上が生む「相対的剰余価値」

(4)   誰のためのイノベーションか

(5)  「分業」が労働者を無力化する

(6)   人間らしさを奪うテイラー主義

 以上は、既に書きました。

 

(7)  「機械」に奉仕する労働者

 第1回で、人間が商品の「価値」に振り回されるという話を、第2回では「資本の運動」に振り回されていくという話をしましたが、大工場時代の労働者は、さらに「機械」にも振り回される。機械というモノと労働者の立場が逆転・転倒してしまうという意味で、これはまさに生産過程の「物象化」なのです。

 資本の指揮・命令――つまり、経営者の意向に沿ってしか労働を実現できない状態を、マルクスは「資本の専制」と呼んでいます。資本の専制が完成されると、飛躍的に向上した生産力も、すべて資本家のものとして現れるとマルクスはいいます。 … なぜなら、労働者たちは自らの意志で自律的に協業しているわけではないからです。

 

(8)   生産力向上で仕事にあぶれる

 機械化が進んで、生産力が二倍になれば、同じ商品を製造するのに必要な労働者数は半分になります。 … すると、労働市場には、資本の需要に対して“相対的に過剰”な労働者があふれ、買い手優位の状況が生まれます。

 工場の外に、「もっと安い賃金で働きます」「より過酷な労働条件でも働きます」「とにかく仕事をください」という人が増えれば、彼らに職を奪われないよう、工場の中にいる労働者は必死になって、ますます長く働くようになります。しかし、皮肉なことに、彼らが必死に働けば働くほど生産力が上がり、「そんなに働いてくれるなら、今は100人体制で生産しているけど、80人でいいな」と、さらに相対的過剰人口を増やす結果になってしまうのです。

 

(9)  「経営者目標」や「AIがもたらす自由」のウソ

 本来、構想とは、自分で自由に考え、判断する能力を意味します。だから、裁量を与えられないままに経営者目線で働くのであれば、現代の労働者は依然として「実行」しているだけで、「構想」からは分離されている。それでも、従業員が「自分は“実行させられている”わけじゃない!」と思っているとしたら、疎外を感じないくらい、すっかり資本に包摂されてしまっているのかもしれません。労働者が、資本家目線で“自発的”に動いてくれれば、資本家にとって、こんなに有り難いことはないのです。

 また、以上の議論を踏まえれば、AIやロボットの技術発展によって、自由な働き方ができるという言説も眉唾ものであることがわかるでしょう。

 

(10) 自律性を取り戻せ!

 無益で高給なブルシツト・ジョブがはびこる一方で、社会にとつて大切なエッセンシャル・ワーカーが、劣悪な労働環境を強いられている。これが、資本主義が爛熟した現代社会の実態です。 … 要するに、この社会では、大部分の人々が労働から疎外されているのです。

 マルクスが何より問題視していたのは、構想と実行が分離され、資本による支配のもとで人々の労働が無内容になっていくことです。人間の労働という豊かな「富」を回復するためにマルクスが目指したのは、構想と実行の分離を乗り越えて、労働における自律性を取り戻すこと。過酷な労働から解放されるだけでなく、やりがいのある、豊かで魅力的な労働を実現することです。マルクスの「疎外」を乗り越えようという主張は、若い頃から一貫しています。

 

(11) 給食を守る取り組み

 給食の現場で「構想と実行の分離」が進んだのは1960年代から。かつては各学校に給食室があり、専門の調理員が手作りで、温かい食事を作っていましたが、効率化とコスト削減のため、数十校分の給食をまとめて作る給食センターが設置されたのです。

 けれども、センター化の流れに抵抗し、「自校方式」で子どもたちの食と、食を通じた自治を守ってきた事例もあります。自校方式を採った学校では、給食の栄養管理を行う職員を独自に配置。栄養価や味を大切にするだけでなく、 … 食育や地域振興にも配慮したケースもあります。

 資本主義的生産方式のセンター給食によって失われたものと、自校方式が実現した食の豊かさのコントラストは、私たちが将来社会のために選択すべき道を示してくれていると思います。

 

 

<出典>

斎藤幸平(2021/1)、カール・マルクス『資本論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

添付図(テイラーは、労働者に「最大の努力、最高に勤勉な働き」を自発的に発揮させ

ようとしました)

https://impro-club.com/strategy/420



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