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2021年1月11日月曜日

(2211)  司馬遼太郎と歴史小説 ~ 多くの人々を魅了した国民的作家 / あの頃日本人は輝いていた(20)

 

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  このシリーズ、最終回

 

☆☆

司馬遼太郎のフアンは多い。幅も広い。年齢層は中学生から高齢者、男性に限らず、女性の愛読者もいる。その理由は、小説のみならず紀行文、エッセイ、対談、講演など … その幅広い考えが支持されているからであろう

☆☆

 

(1)  生い立ち

(2)  作家司馬遼太郎の誕生

(3)  多彩な歴史小説

(4)  司馬遼太郎の遺産

 

<展開>

(1)  生い立ち

 司馬遼太郎(本名福田定一)は、大正12(1923)8月、大阪で薬局を経営する家に生まれた。

 大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学した。読書欲は益々高じ、ロシア文学や司馬遷の『史記』などを愛読した。その間、古代中国の周辺にある民族、匈奴あるいは撻担、モンゴルなどに大いに関心を持った。それがのちに司馬遼太郎の思考の範囲が日本史を日本の中から考えるのではなく、朝鮮半島から中央アジアにまで広がることにつながり、「司馬史観」の形成となっていった。

 産経新聞から「外語出身だから英語ぐらいできるだろう」と誤解されて雇われた。後に、京都の寺社回り、京都大学担当となる。京都の僧侶の話を聞いたり、京大の碩学フランス文学の桑原武夫、中国文学の貝塚茂樹などから取材するうちに「産経の福田はええ子やで……」と可愛がられ、さまざまな分野の知識を吸収していった。

 

(2)  作家司馬遼太郎の誕生

 新間社の給料では欲しい辞書も買えない。懸賞小説への応募で、たった二晩で書き上げた、四百字原稿用紙七十枚の作品「ペルシャの幻術師」が入賞した。この時はじめて使ったペンネームが司馬遼太郎であつた。「司馬遷に遼かに及ばず」からとったという。『臭の城』で直木賞を受賞したのを機会に作家に専心するため産経新間社を退社、以後活発な活動を続けることになる。

 司馬遼太郎の名を世間に広めたのは『産経新聞』に連載した「竜馬がゆく」であった。「司馬さんがある作品を書くと関連分野の文献と資料が神田の古本屋街から消える」といわれたほど、小型トラックで膨大な文献と資料が大阪まで運ばれてきた。志を抱いた青年が幾多の苦難の経験を経て成長し、人格を形成していく。日本型ロマンであり、竜馬の自由、闊達、先見性に富んだ人格は高度成長期の日本人を魅了した。

 

(3)  多彩な歴史小説

 歴史小説で扱う時代は、古代から明治・大正まで広い範囲に及んだ。日本が中国世界や朝鮮半島と密接だった古代に題材をとつた「空海の風景」、貴族が成熟し、武士が躍動する中世をテーマとした「義経」、北条早雲の「箱根の坂」、戦国時代は斎藤道三を主人公とする「国盗り物語」、秀吉の「新史太閤記」、家康の「覇王の家」、江戸時代に入ると廻船業で一時代を築いた高田屋嘉兵衛が活躍する「菜の花の沖」、江戸最強の剣士といわれた千葉周作の「北斗の人」など次々と秀作を世に送った。

 激動の時期に日本を動かした人物を描くのは幕末維新を舞台とするものだ。「竜馬がゆく」、ニヒルな性格で読者を引き込む「燃えよ剣」の土方歳三、合理主義者で技術者の村田蔵六を主役とする「花神」、吉田松陰と高杉晋作の「世に棲む日日」、賊軍となった長岡藩の家老河井継之助を主人公とする「峠」、旗本の先祖を持ちながら侠客となった明石屋万吉が活躍する「俄―浪華遊侠伝」、医者にとつての幕末は蘭方医松本良順の「胡蝶の夢」がある。

 司馬遠太郎にとって、明治時代とは江戸時代の武士道の精神を汲みながら、近代国家を日指すしっかりした人間像ができ、公と私のバランスが極めて健康的な形が保たれた時代と見る。傑作「坂の上の雲」がある。

 昭和を舞台とする作品はついに生まれなかった。

 

(4)  司馬遼太郎の遺産

 「六十五歳をすぎたら小説は書かない」との言葉どおり、『撻担疾風録』を最後に、紀行文や

エッセイ、対談などに力を注ぐことになる。「街道をゆく」は、好評であった。現在と過去、筆者と歴史上の人物の間を自在に往来する独自の歴史観は、独創的な文学表現とあいまって歴史地理の世界に読者を誘った。講演も積極的に引き受け、小学生のため「二十一世紀に生きる君たちへ」を執筆した。

 司馬遼太郎は七十二歳で急逝する。

 司馬はいくつかの遺産を残した。司馬遼太郎記念財団が発足し、賞やイベントが制定され、企画され、実行に移された。第一は司馬遼太郎賞の制定である。第二は、21世紀を担う若者たちを対象とした「司馬遼太郎フェローシップ」である。

 

<司馬遼太郎(19391996)

本名・福田定一。

 大阪生まれ。産経新聞社勤務時代に「臭の城」で直木賞受賞。綿密に史料を読み込み独自の解釈を加えた歴史小説の新分野を開拓した。代表作は「龍馬がゆく」「国盗り物語」「空海の風景」「坂の上の雲」など。「歴史を紀行する」「街道をゆく」など歴史紀行エッセイも多くの読者に共感をもつて迎えられた。文化勲章受章。

 

<出典>

池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)

 

写真は、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E



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