前回(792)で紹介した研究会で、「何故、エライ人は地位に拘るのか」と疑問を呈した人がいたが、だれも答えぬまま流れてしまった。私は、それに対して発言しようかと思ったが、思いとどまった。残り時間が少なかったのと、あまり私ばかりが発言して他の方の発言を妨げるのはよくないと思ったからである。
でも、喉から出かけた言葉を飲み込んだままにしておくのは、どうも気分が良くない。なので、ここで書く。
様々な説明があり得る。
(1)
地位に拘るからエラクなったのだ
地位に拘ったから、その人はエラクなった。そのエラクなった人が地位に拘るのは当然である。
(2)
地位があると、できることが多くなる
ヒラでいるときは課長に反対されると思うようにはできない。だから課長になりたい。課長でいるときは部長に反対されると思うようにはできない。だから部長になりたい。キリがないが確かに上に昇るほどできることは増える。それを手放したくない
(3)
地位が上がると、影響力が増える
100人の部下持ちは、10人の部下持ちより影響力が大きい。影響力が行使するには、地位は上がよい。影響力を行使したいので、地位を放したくない
(4)
何を言うかではなく、誰が言うかで評価される
実は、本当は、地位が無くても、多くのことができるし、影響力を行使することもできる。小説によれば、坂本竜馬は地位が無かったけれど、多くのことをし、多くの影響力が及ぼした。しかし現実は、何を言ったかでなく、誰が言ったかでほぼ自動的に評価が決まる。地位のない人が正しいことを言っても誰も見向きもしないが、地位の高い人が言えば間違ったことでも皆従う。(… 誇張して言っている)。地位には拘る価値がある。
(5)
エライから、偉くあつかわれる
地位の高い人は周囲からチヤホヤされる。本人は自分が偉いからだと勘違いしている。本当は、その人ではなく地位を相手にしている。その証拠に、異動があって別の人がその地位に就くと、手のひらをかえしたようにその人にチヤホヤする。地位を失うと、誰も振り向いてくれなくなる。だから、地位に拘り続けるべきである
(6)
家族や友人、同窓会
妻や子供達に恥ずかしくない地位が欲しい。友人に誇れる地位を得たい。卒業して数年経つと、誰がどの程度出世したかが気になり始める。地位に拘るのは、自然だと思う。
随分長くなってしまった。実は、当日言おうとしたことは、未だ書いていない。
「あなたのは長いから最後まで読めない」とよく言われてしまう。
何%の人がここまで読んでくれたのだろうか?
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。お疲れ様。
続きは次回に書きます。
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