~ 『100分で名著』 2月13(月) 22:25 – 22:50 Eテレ 放映 ~
(1)
私生活との落差( P.39 , P.47
- P.48 )
ガンディーは「欲望」に非常にこだわり、それを「乗り越えろ」と言い続けた人だが、最初から聖者ではなかった。
彼は、若き日の生活を通じて、近代社会にどっぷりと浸かっていたし、近代的欲望がどれだけ魅力あるものなのかを身をもって知っていた。酒を飲み、ダンスホールにも行き、別の女性に恋心を抱き…妻に対する性欲や嫉妬心にはじまり、肉食、たばこ、名誉欲、浮気心、金銭欲、そうしたさまざまな欲望をすべて経験していたわけである。
(2)
自分の能力の限界や不完全性( P.54 )
人間は、絶対的で普遍的な真理=神を信仰することによって、自分能力の限界や不完全性を認識することができる。
そしてそこからは、自分が言っていること、考えていることの中には間違いがあるかもしれないという謙虚さや、他者に対して寛容であったり、尊敬を払ったりできる感情が生まれてくる。
(3)
器としての人間( P.56 )
ガンディーの人間観で重要なこととして、「器としての人間」 - 人間は魂を入れる入れ物に過ぎない、という考え方がある。
これは、ヒンドゥー教の伝統的な発想でもある。ヒンドゥー教では、それぞれの肉体に宿る霊魂、本体を「アートマン(真我)」と呼び、それが宇宙全体を司る真理である「ブラフマン(梵)」と実は一体であると理解すること(梵我一如)によって悟りが開ける、とされている。
(4)
欲望の統制( P.59 )
真のインド独立は、自己統御できる人間によってしか実現できないとガンディーは考えていた。
一人ひとりがしっかりとセルフコントロールのできる人たちが、互いに顔をつきあわせ、自分の利益や欲望を超えて互いに奉仕し、分け与え合いながら生活する。それがガンディーの考えた「自治」のイメージであり、理想の政治のあり方であった。
(5)
プラフマチャリア( P.60 , P.62
, P.63 , P.65)
セルフコントロールの実践の基本になったのは「プラフマチャリア」というヒンドゥー教の伝統的な教えであった。これは「純潔・禁欲・浄行」というふうに訳されている。
具体的には、「性欲の抑制」「感覚器官の抑制」「所有の抑制」などを説いている。「アサンヒー」(あまねく万人への愛)を実践するには、一人の男、一人の女だけを愛するのであってはいけないので「性欲の抑制」が必要である。「感覚器官の抑制」では、「おいしい物を食べたいと思うな」「美味を楽しむな」と味覚を統制するよう言っている。「所有の抑制」は、「これらはすべて、わたしたちの所有物でなく、この世には、ひとつとしてわたしたちの物はありません。わたしたち自身ですら神のものなのです」という考え方に基づく。
(6)
統制的理念と構成的理念( P.66 )
とても無理だと思えるようなことであっても、とにかく誓いを立てることが重要だとガンディーは言う。決意表明することによって、自分の姿勢が自分の中で明確になり、努力を重ねることができる。この理念の構造は、カントに非常に近い。
カントは、理念は統制的理念と構成的理念という二重の構造がなければならないと言った。統制的理念とは実現できないけれども非常に高い目標としての理念であり、一方、構成的理念とはもっと現実的な、実現可能な理念である。
引用:
中島岳志(2017/2)、『獄中からの手紙』、100分de名著、NHKテキスト
写真:若きガンディー夫妻、ガンディー
0 件のコメント:
コメントを投稿