===== 引用 はじめ (P.19)
私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。
ある線までは誰でもやること。
そこを一歩超えるか超えないかで、
人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、
このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩超えて。
ですからお手伝いいただいて、
「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、
とても寂しく感じるのです。
===== 引用 おわり
私は、ここぞというところでは、合格点に達した後でも追究をとめない。「何の為にそんなに不必要な事をするのか」、「無駄ではないか」、「無意味ではないか」と言われつつも、追い求めて行く。私の現在もっている特殊な力の多くは、その「不必要」「無駄」「無意味」から得たものだと思う。
「ある線までは誰でもやること。そこを一歩超えるか超えないか」という、越すに値する「ある線」を感じたときにやる気がおこるのだろう。そして、その線を踏み越えるエネルギーは、その対象への愛から沸き起こっているのではないだろうか。
「面倒くさい」というのは、その愛が足りていない状態ではないか。だから初女さんは、
「寂しく感じる」。 「間違っている」とか「そうすべきではない」とは言っていない。
お料理を作っていて、面倒くさいとはちっとも感じない初女さん。そこに彼女の生きる姿勢のすべてが反映されているのではないか。
佐藤初女(2005) 『おむすびの祈り』、集英社文庫
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