絶望的な境遇にあっても、心の支えがあれば、強く生きていくことができる。
それは、希望をもつことによる。
希望を見い出せないような絶望的な状況で、
どのようにすれば、希望を抱き、心の支えを得て、強く生きていけるのか。
===== 引用はじめ P.123~P.124
… 収容所の囚人は、収容所に入れられて数日のうちにもう、どんどん無感覚になっていきます。自分の身に起こる事柄にますます無感動になります。… そうなると、ひたすら、その日一日をなんとか生き延びることにだけ全力が注がれるようになります。
===== 引用おわり
===== 引用はじめ P.129
典型的な囚人になってしまったのはいつでしょうか。その人が自分の心を埋没するままにまかせたのはいつでしょうか。その答えは、心の支えをなくしたときだ、心の支えがなくなったらすぐだ、という答えになるはずです。
===== 引用おわり
ナチスの収容所の話である。このような境遇にあっても、「内面的に前進し、内面的に自己超越して成長し、ほんとうに大きな人間に成長したたくさんのケースを知っている」とフランクルは言う。
我々は、収容所を「絶望的な境遇におかれたとき」と、読み替えてもよいだろう。その境遇に打ち勝つには心の支えが必要である。それは絶望的な状況の中で希望を見出すことにより得られる。
「希望をどこに置くか」をキーとして、私(藤波)の考えを述べる。
希望を置く場所の候補は、四つある。
①
現在
②
近い将来
③
遠い将来
④
永遠
最初に答えを言うと、①と②は失敗し、③と④は成功の可能性がある。
先ず、「① 現在に希望を置く」は、不可能だろう。希望の見いだせない絶望的な現在において、希望を見出すのは「絶望的」だろう。
次に、「② 近い将来に希望を置く」は、「近い将来」に破綻する可能性が高い。短い時間で絶望的な境遇が改善されるとは考えにくい。
===== 引用はじめ P.131~P.132
… その人はブダペストのオペレッタの台本作家でタンゴ作曲家でもありました。彼は、奇妙な夢を見たと言うのです。「二月の中頃、夢の中で、私に話しかける声が聞こえて、なにか願いごとを言ってみろ、知りたいことを聞いてみろ、ていうんだ。答えてやれる、未来を予言できる、ていうんだ。そこで、私は聞いたんだ。私にとっていつ戦争が終わるんだって。わかるかい。私にとってというのは、アメリカの部隊がやってきて、私たちを解放してくれるのはいつかということだ」。「それで、その声はなんと答えたんですか」。彼は身をかがめて私の耳に口をつけ、意味ありげにささやきました。「3月30日だよ」。
… 三月の終わりごろ、夢の声が予言した期日がどんどん近づいたのに、戦況はその声が正しかったとは思われないようなようすでした。その人はどんどん元気を失っていきました。3月29日、彼は高熱を出しました。3月30日、戦争が「彼にとって」終わるはずだったその日に、意識を失いました。そして、3月31日に彼は亡くなったのです。発疹チフスで亡くなったのです。
===== 引用おわり
次に、「③ 遠い将来に希望を置く」事例を紹介する。
===== 引用はじめ P.118~P.119
そんなとき、囚人たちのひとりは、こういうこと* を考えるのはもうたくさんだと思いました。そして、べつのことを考えようと、「もっと人間にふさわしい」ことで悩もうと気をとりなおしてみました。けれども、なかなかうまくいきませんでした。それで一つのトリックを使いました。… 未来の視点から眺めてみようとやってみたのです。彼はどうやったのでしょうか。彼は、自分がウィーンの市民大学の講壇に立って講演しているのだと想像しました。しかも、いままさに体験していることについて講演しているのだと想像しました。心の中で「強制収容所の心理学」という題で講演していたのです。
===== 引用おわり
* 収容所囚人相応の日常の悩み。食べること等
強制収容された精神科医フランクル自身のことを語っているくだりである。
最後に、「④ 永遠に希望を置く」について
後者* は、本当に宗教的なすべての人たちの場合でした。この人たちは、将来を支えにする必要もありませんでした。… その人たちは、そもそも将来を体験するという、つまり強制収容所で生き延びるという無茶な要求を将来の運命に背負わせなくても、気持ちをしっかりもっていることができたのです。
===== 引用おわり
* 永遠にある心の支え
信仰心のある人は、信仰そのものが心の支えになる
信仰心の無い人は、遠い将来に希望を描くことにより、心の支えを得ることがある。
その時に起こっているのは、
A.現在や近い将来に希望を置くと、それが実現しないことがすぐ分かってしまうが、遠い将来に希望を置けば、実現するかどうかは、近々ではわからない
B.「希望はいつ実現するか」「そもそも希望は実現するのか」といった答えのない問いに翻弄されることを、希望を描く作業により、遠ざけることができる
C.遠い将来のことではあるが、希望を描くことにより、心の支えを得て、生きる気持ちを取り戻し、勇気を得られる。未だ実現していない将来だが、今のその人を支え、力を与えている。「将来」は、今すでにその役割を果たしている。それが、いつ実現するか、本当に実現するか、は大きな問題ではない(今現在に取り組むべき課題ではない)。
V・E・フランクル、「それでも人生にイエスと言う」、春秋社
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