(536) 「好奇心」と「有用性」が人を育てる / ルソー『エミール』(2-1)(6月13日(月) 22:25- Eテレ放送)
ルソーが「エミール」を書いたのが1762年、ピアジェが「発生的認識論序説」を書いたのが1950年、エリクソンが「アイデンティティとライフサイクル」を書いたのが1959年。「発達段階説」の大元は、200年遡ったルソーにあるとあらためて思った。
「発達段階説」をベースに教育を考えると、その子の発達段階に応じて、子どもへの接し方が変わることになる。
===== 引用はじめ (P.39)
この第二編で面白いのは、現在を無視する教育への批判です。「不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育」はよくないと述べられているのです。
… 人間のもつ「先見の明」(未来を予見する能力)がかえって人間を不幸にすることがある、とルソーはいいます。 … 実は次の第三篇では、未来を予見する能力も生かさなければいけないとも述べているのですが、この段階ではそのマイナス面を特に強調します。
===== 引用おわり (P.40)
ルソーは、第二編では児童期・少年前期(1歳頃~12歳頃)を対象にし「感覚・知覚」に焦点を当て、第三篇では少年後期(12歳頃~15歳)を対象にし「好奇心・用不用(有用性)」に焦点を当てている。
===== 引用はじめ (P.55)
第三篇は、 … いまの日本でいうとちょうど中学生ぐらいでしょう。ルソーはこの時期を「研究の時期」と呼んで、…
… 欲望に対して能力の方が大きく、だからその余った能力を振り向けて、将来に役立つさまざまなことを研究しておくことができる、というのです。
===== 引用おわり
===== 引用はじめ (P.63)
ルソーはこの第三編で、まず好奇心を挙げ、次に有用性を上げています。
この二つは矛盾するようにも思えます。全然役には立たないけれど、不思議で面白いこともあるでしょうし、知的な好奇心は死後の世界や世界の根本原因のような思弁的な世界への興味につながるかもしれない。
しかしルソーはこの二つが矛盾するとは考えていないようです。家庭教師はそれらをバランスよく両立させながら、エミールを自立した、自活できる人間に育てようとしているのです。
===== 引用おわり
余談になるが、高齢期を私は、「黄金期」と「シルバー期」に分けることを提案した(528)。
少年後期で必要な「好奇心」「有用性」が、異なった意味で「黄金期」でも大切になると私は思っている。
再び「欲望に対して能力の方が大きく」なるからである。
正確に言うと、欲望は大きいままなのだが、引退するとそれを制限されるから、結果として能力が大きくなってしまう。また「シルバー期」という未来に備えて準備をはじめておかねばならない期間でもある。
書き続けるとまた長くなる。ここでは、これで止める。
出典:
西研(2016/6)、ルソー『エミール』、NHKテキスト
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