ライフサイクル後半(「現役期」→「黄金期」→「シルバー期」)の生き方を考える。
サラリーマン男性をイメージすると分かりやすい。
「現役期」は会社を辞めるまでである。再就職したり起業したりすると「現役期」は延長される。
「現役期」の次に来る「黄金期」は心身ともに元気な時期だが、だんだんそれが損なわれてきて「要支援・要介護」になると「シルバー期」に移る。普通は徐々に移行し、境は必ずしも明確ではない。「ああ、オレも年取ったな、今までのように頑張れないよ」とある日を境に意欲が大きく変わったのなら、「シルバー期」に入ったと言える。ただ、新たな生きがいを見つけて「黄金期」に復活できる可能性は残っている。
曖昧ではあるが、とりあえず、ライフサイクルの後半を「現役期」「黄金期」「シルバー期」の三つに分ける(例えば、(528)「シルバー期」参照)。
ルソーの考え方は、高齢期の二つの転換期のありかたに、ヒントを与えてくれる。
【A: 現役期 → 黄金期】
【B: 黄金期 → シルバー期】
【A: 現役期 → 黄金期】
===== 引用はじめ P.92
… 自分の生は何のためにあるのか、という「生きる意味の問い」に答えを求める…
ルソーはこれに対して、<人間はよいことをするために、神によってつくられた>という答えを出しました。「よいこと」の意味について、ルソーは詳しくは語っていませんが、一言で言えば、他人の幸福に寄与すること、といっていいでしょう。
… 「仕事」を考えてみても、お金を稼ぐことはもちろん大事ですが、やはりそれが誰かの役に立つとか、どこかで人びとの幸せにつながっていると思えることが、仕事を続けていくうえでの大事な支えになるのではないでしょうか
===== 引用 おわり P.94
①
お金を稼ぐ。仕事の業績を残す。地位を得る
②
誰かの役に立つ、人びとの幸せにつながっている
組み合わせ(①と②)は人により違い、ひたすら①の人は「仕事人間」と呼ばれる。働きながらも自治会の役員になったり、ボランティア活動に取り組んだりして、①と②のバランスをとりながら生きている人もいる。「ワークライフ・バランス」が取れている人と呼んでもいい。
さて、「現役期」から「黄金期」に移行するとは、①を失うことである。すると、①だけの「仕事人間」は、全てを失い、生きがいもなくなってしまう。②もしていた人は「黄金期」が終わっても、②をもったまま「黄金期」に移ることが容易で、生きがいを失わない。「仕事人間」だった人でも、「黄金期」にボランティア・デビューすることにより、②を獲得し、充実した人生を送ることができる。
【B: 黄金期 → シルバー期】
===== 引用 はじめ P.94
人は、愛する人たちがいることによって、また、自分が力を発揮したボランティア活動(注:原文は、仕事)を人々が評価してくれることによって、元気に生きていくことができます。そういうときには、あえて「生きる意味」を問う必要もないほどです。しかし人生のなかで、不遇な状況に直面することもあるかもしれない。そんな苦しいときにでも、まっすぐな気持ちをもって生きるためには神の信仰が必要だ、とルソーは考えていたのでしょう。
では、「不遇なときに、どうやってまっすぐ生きられるか」という問を、「神なし」でどう考えるか。この課題に立ち向かったのが、ルソーよりも百数十年後のドイツの哲学者ニーチェです。彼が示したのは、<恨みや妬みは自分自身を貧しくする、ということを深く自覚したうえで、わずかであっても喜びのほうに自分を向けていく>という生き方です。この考え方が結晶したものが有名な「永遠回帰」の思想になる…
===== 引用 おわり P.95
「黄金期」には現役を引退したものの、心身とも元気で自分の力を発揮して、評価をえることができる。また、愛する人たちも近くにいてくれる。
しかし、やがて不遇な状況に陥って「シルバー期」に突入すると、心身の健康が怪しくなり、身近な人も鬼籍に入る。「心身とも元気で自分の力を発揮して、評価をえる」ことも覚束なくなる。その状況で、いかにして生きがいを保持するか。
神の信仰、「神なし」の「永遠回帰」、その他にもあるかもしれない。いずれにせよ、これまで特に必要を感じなかったものが、必要にする。
高齢期は、「現役期」→「黄金期」→「シルバー期」とステージが変わっていくが、それに応じた生き方の転換が必要である。「黄金期」に「シルバー期」の準備ができておれば、また、「黄金期」に「シルバー期」の準備ができていれば、生きがいを維持したまま、高齢期を過ごしやすくなる。
出典:
西研(2016/6)、ルソー『エミール』、NHKテキスト
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