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2016年6月16日木曜日

(541) 舛添東京都知事辞任


 かたい話をもう一つする。

 舛添東京都知事が辞任したが、報道を見ていて違和感がある。何故かなと考えてみた。

 
 大きく見ると、二種類の問題が絡んでいる

(1)   システムの問題
政治資金、政務活動費に関連する仕組み

(2)   個人の問題
舛添都知事の政治家としての資質、姿勢、行動

 今回の都知事辞任の過程を見ていると、両方の問題がある。

 
 二つに分けたが、独立したものではない。関連において二つ課題がある

(1)   「個人の問題」があるとき、それを是正するシステムであるか
ある政治家が不正あるいは不適切なことをしようとしたとき、
それを許さないシステムであるか

(2)   「システムの問題」があっても、問題を発生させない個人であるか
不正あるいは不適切なことを許してしまうシステム下でも、
不正あるいは不適切なことをしない個人であるか(良心はあるか?)

 
 「個人の問題」も「システムの問題」も、各々、理想的にはなりえない。その足りない部分を相互に補完できるという発想である。

 今回の都知事辞任の過程を見ていると、両方とも機能していない。

 
 
 都議会の議論を見ていると、「個人の問題」ばかり取り上げられていて、「システムの問題」は取り上げられていない。「個人の問題」を放置して良いとは思わないが、私は「システムの問題」こそ、重要だと思う。

 なぜなら、「個人の問題」は単純で一つ一つ決着をつけていくしかないが、「システムの問題」は複雑で、かつ、根源的な取り組みだと思うからである。

 
 「個人の問題」においては、都民(国民・市民 等々)できることは二つしかない。

(1)   政治家として資質、姿勢、行動が優れている人を選挙で選ぶ
(2)   選んだけれど実際には違っていたら、途中で辞めてもらうか次回は選ばない

失敗を繰り返しながら、この二つを繰り返すしかない。選挙の時には皆さん「私は、資質、姿勢、行動が優れた政治家です」と演説される。そこに嘘があっても見破るのは難しい(1)。当選したら少しは見えてくるので、(2)で対処するしかない。

 都民が反省すべきは、(2)が出来ていなかったことではないか。不満なのは、都議会が、この問題がマスコミに取り上げられる前に、何ら機能していなかったことである。都議会は、都知事に問題があるとき、それを見つけ正していく機能が求められるが、マスコミに取り上げられるまで、全く何もしてこなかった。都知事を責めているが、自らの不作為を反省していない。都議もまた、総辞職に値する存在ではないか(私は都民ではないので、「遠吠え」しているだけです)。

 

 「システムの問題」においては、しなければならないことが二つある。

(1)   「違法ではないが、不適切である」を発生させるシステムを是正する
システムに問題があるから起こった一面がある。具体的には、政治資金規正法をさらに精査し、「違法ではないが、不適切である」部分が「違法」になるように、法を見直せないのだろうか。これは、都議会の課題ではなく、国会の課題である


(2)   特に、政務活動費のシステムが、ひどい。

政務活動費の問題点
===== 引用はじめ

地方自治法では、当該自治体の議長に対して政務活動費の収支報告書の提出は義務付けられているものの、詳細は決められておらず、どこまでの書類を求めるかは自治体により異なる。剰余金については返還することを要するが、領収書の添付までは求めていないケースが多いことから事実上チェックすることが不可能である。それゆえ、しばしば批判の元となり、透明性が求められている。

===== 引用おわり
wikipedia.org『政務活動費』のなかの「問題点」の第一項目目


 今回の都知事追及で、政務活動費が取り上げられなかったのは、これでは追求しようがないのが一つの理由だったと思う。

  悪いことをしてもバレない法律であり、まさに「無法地帯」である。

 
 この法律は、政治家に良心があるという前提で作られている。しかし良心のない政治家もいることは、これまで何回も証明されてきた。

 「政治家は悪人かもしれない」という前提で、政務活動費を抜本的に見直さねばならないのではないか。

 

 冒頭で「舛添東京都知事が辞任したが、報道を見ていて違和感がある。何故かなと考えてみた」と書いた。

 「個人の問題」ばかりが取り上げられ、根本的に見直さねばならない「システムの問題」がなおざりにされている。

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