前回、「自己愛」「自尊心」「他人への愛」について述べた。自分の中で完結する「自己愛」から他者と比べる「自尊心」へという「悪い方向への変形」がある一方、「自己愛」から「近しい人からの愛」を介して到達する「他人への愛」という「良い方向への変形」もあることを見てきた。
今回は更に進んだ「人間愛」への道程をみる。「第一人称(I)」の「自己愛」から始まり、「第二人称(You)」が関係する「近しい人の愛」を経て、「第三人称(They)」が関係する「あわれみ」へと至る。「あわれみ」は、「人間愛の最初の種子」であり、「他者への共感能力」のことである。このように関心は、個人の世界から、自分を中心とする世界を経て、社会に向かっていく。そして、「あわれみ」が、住みよい社会を作っていく。
===== 引用はじめ P.73
では、あわれみ、つまり共感能力は、どのようにすれば広がっていくのでしょうか。いったいどんなときに、人は他者に共感することができる、あるいはできないのでしょうか。ルソーは、以下のような三つの格率(原則)を提示します。
第一の格率:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりあわれな地位に自分をおいて考えることができるだけである
… 青年(エミール)に人間愛を感じさせるためには、表面的なことだけを見てうらやましがらせるのでなく、その人の裏側のみじめな面を示してやらなくてはならない、と述べられています。
第二の格率:「人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ」
第三の格率:「他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。
===== 引用おわり P.75
ルソーらしいアプローチである。
(1)
「自由な社会にしていく」と「自由な社会を担いうる人間を育てる」は、車の両輪として両方を追求したい(ルソーの考え)。社会と個人は対立するものではなく、スペクトラム(意見・現象・症状などが、あいまいな境界をもちながら連続していること/デジタル大辞泉)をなす(ルソーには「スペクトラム」という言葉・発想はない:私の意見)。
(2)
「自己愛」「他人への愛」「あわれみ」「人間愛」もまたスペクトラムをなし、(1)の個人から社会へのスペクトラムに呼応する
(3)
「自己愛」「他人への愛」「あわれみ」「人間愛」は、そもそも人間に備わっているものであり、他から、強制されたり、与えられたり、教え込まれるものではない
(4)
「自己愛」「他人への愛」「あわれみ」「人間愛」が発露する条件がある。その法則が分かれば、育っていく場をつくる方法がわかる。
三つの格率(原則)は、上の(4)に位置する(私の考え)。
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