前回の“(539) 「隣人は悪人」が前提”の続きであり、話が大きくなる。
昨今、憲法改正の議論が盛んになり、特に第9条に注目が集まっているようだが、私が気になるのは前文であり、特に次の二つ部分である。
(A)
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
We have determined to preserve our security
and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of
the world.
(B)
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
We desire to occupy an honored place in an
international society striving for the preservation of peace, and the
banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from
the earth.
中国、北朝鮮、韓国、ロシアなどは「平和を愛する諸国民の公正と信義」という原理では動いていない(他の国も同様)。それなのに、それを「信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ということは、事実上、安全と生存の保持を放棄していることに他ならない。
また、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」とあるが、努めているのであって、実現している訳ではない。また、努めていない国もたくさんあるのが、現実である。
「平和を愛する諸国民(the peoples of the world)の公正と信義」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会(an international society)」を頭から否定するつもりはない。一つの理想だと思う。
ここに書いてあることは、我々がこうであってほしいという理想であっても、我々が行動する際の前提ではない。それを前提にしてしまっているので、おかしなことになってしまう。
我々(日本)の「安全と生存」を脅かす力は存在する。過去に存在し、現在も存在し、未来にも存在し続ける。それに抵抗し、我々自身で身を守ることによりはじめて我々(日本)の「安全と生存」を確保することができる。
なお、「諸国民(the peoples of the world)」も「国際社会(an
international society)」も日本の外のことであり、日本がコントロールできるものではない。それらは所与(考察の出発点として,そのまま認められる確実な知識や事実。与件:大辞林
第三版)である。
他国や国際社会の現実をしっかり踏まえ考察し、行動していかいと、道を誤る。
安全も生存も脅かされる。
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