【 読書 ・ 100分de名著 】全盛期をとうに過ぎた闘牛士マヌエルは、周りから引退を勧められているにもかかわらず、馴染みの興行師レタナに頼み込んで夜の部の闘牛の試合に出ることになりました。仲間に出場を依頼して、…
第3回 18日放送/ 20日再放送
タイトル: 交錯する「生」と「死」~「敗れざる者」
【テキストの項目】
(1)
『老人と海』に通じる初期の短編
(2)
共通点と相違点
(3)
なぜ闘牛か
(4)
交錯する視線が織りなす物語
(5)
書かないことの効果
(6)
上り坂と下り坂のコントラスト
(7)
後継者は異民族の若者
(8)
メディアと観客の視線
(9)
言葉では考えない
(10)
冒頭に示される弟の存在
(11)
闘う姿を見せるということ
(12)
マヌエルとスリトの関係
(13)
多層的な構造を持つ作品
【展開】
(1)
『老人と海』に通じる初期の短編
『老人と海』は中編作品でしたが、ヘミングウェイは短編においてもその研ぎ澄まされた文体と構成で高く評価されています。そんなヘミングウェイの短編の中から、第3回では「敗れざる者」という作品を取り上げたいと思います。 … この「敗れざる者」は描写もさほど極端に切り詰められておらず、読みやすい作品です。
あらためて読み直すと、「敗れざる者」は『老人と海』と驚くほどよく似ています。書かれたのは「敗れざる者」が1925年で、『老人と海』は50年頃ですから、『老人と海』の方が「敗れざる者」に似たと言うべきなのかもしれません。ともかくこの短編は、ヘミングウェイのごく初期の作品であるにもかかわらず、晩年に書かれた名作と、構成やテーマが共通しているのです。
(2)
共通点と相違点
この作品はテーマや構成が『老人と海』と非常によく似ています。まずは主人公の人物像。闘牛士マヌエルは、かつては輝きを放っていたのですがいまは誰が見ても落ち目。 …完膚なきまで叩きつぶされるというのは、客観的には最悪です。けれども、それでも粘る、というところにある種の栄光がある。『老人と海』のラストと重なっています。
一方で異なる点もあります。『老人と海』では、老人サンチアゴは誰もいない洋上で一人、魚と闘いましたが、闘牛士マヌエルの場合は衆人環視のうえ、何人も補佐役がいます。 … ではマヌエルは孤独ではないかというと、そうではありません。 … 補佐役がいくらいても、必ずしも彼らはマヌエルと運命を共にする仲間ではないのです。
(3)
なぜ闘牛か
当時パリで作家修業中だったヘミングウェイは、「自分で経験している情緒の生みの親である現実の事物が何であるか」を言葉でとらえることに苦労していました。時事性や人間関係など、さまざまな情報をはぎとったところにある純粋な事実。ヘミングウェイは、その最も単純なものは「死」であり、事実としての死を体験し、それを書くために、自分は闘牛を観に行くことにしたのだと言っています。なぜなら、「生と死とが、つまり激烈な死が見られる唯一の場所は、戦争が終った今となっては、闘牛場のみ」だからだというのです。ヘミングウェイはその最初のスペイン行きで闘牛の虜になり、以後何度も闘牛を観るためにスペインに通うようになります。
(4)
交錯する視線が織りなす物語
「敗れざる者」では主人公マヌエルの周りにさまざまな人がいて、それぞれが、さまざまな思い(あるいは思惑)を持ってマヌエルに接し、闘牛という一つの興行にかかわっている様が描かれます。闘牛士たちや興行師、観客などマヌエルを取り巻く人々の視点に着日して、彼の生き様がどのように描かれているかを見ていきましょう。
興行師レタナの胸中には、マヌエルはもうダメかもしれないけれど、昔のよしみがあるからチャンスはあげたい、でも客が呼べないから昼の部には出せない、…
昔馴染みのビカドール、スリトは、「見事な技を披露できなかったら、引退するんだ。いいな?」と、いわば仲間の引退の花道を飾ってやる心づもりで、出場を決めます。
(5)
書かないことの効果
ここには「スリトは、マヌエルが汗をかいているのに気づいた」としか書いてありません。しかしこれで十分なのです。ここまで、マヌエルが周りから引退を勧められていること、一番の理解者はスリトであること、いざ試合になると伸び盛りの若手が喝来を浴びていることなどを読んできた読者は、出番前のマヌエルが汗をかいていることにスリトが気づいたという一文だけで、それが何を意味するのかがわかるわけです。あるいは、その後の展開すらわかってしまう。
ここで、説明しては台無しになります。いちいち書かないのです。書かないからこそ、読者はこのあとマヌエルを待ち受ける運命に向かって、一気に引き込まれていきます。
(6)
上り坂と下り坂のコントラスト
… しかしヘミングウェイはそうせず、誰からも落ち目と見られる闘牛士が、牛は殺すものの自分もボロボロになる話を書きました。
これは『老人と海』の主人公が客観的には「負ける人」であることにも共通するテーマです。考えてみれば、若くて上り調子でこれからもぐんぐん右肩上がり、という人は、人類全体でみれば少数派です。人生の中でわずかにそういう時期はあるかもしれないけれど、たいていの人は下り調子の負け戦を、「もう続けられないかもしれない」と思いながら何とか戦って生きている。だからこそ、ヘミングウェイが描く「うまくいかないのに往生際悪く闘い続ける人の話」は多くの読者の胸に泌みるし、学ぶところも多いのです。
(7)
後継者は異民族の若者
マヌエルは、自分の闘牛に対する意志を引き継いでくれるのはフエンテスしかいない、とすら感じていることが読み取れます。
ここで興味深いのが、マヌエルが次代を託したいと思っている若者がジプシーだということです。ジプシーはいまではロマと呼ばれる移動民族で、ラテン系のスペイン人からすると異民族です。ということは、ラテン系スペイン人のエルナンデスは順調に人気が出るだろうけれど、ジプシーであるフエンテスは、力はあってもトップまでは行けないかもしれないという考えが頭をよぎります。当時の社会規範からすると、いまよりも強い民族差別があるだろうと想像できるからです。
以下は、後に書きます。
(8)
メディアと観客の視線
(9)
言葉では考えない
(10)
冒頭に示される弟の存在
(11)
闘う姿を見せるということ
(12)
マヌエルとスリトの関係
(13)
多層的な構造を持つ作品
<出典>
都甲幸治(2021/10)、『ヘミングウェイ スペシャル』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
<添付> 番組紹介。動画あり
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=31307
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