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(K1476) 「認知症の語り」(003) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/05/k1476-003.html
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金閣滅ぼせば、現実の具体的な存在との間に有機的な関係を回復できるかもしれない。更に金閣を焼けば、この世に不滅などないことを知らせ、人々の目を覚ます。そうすれば「世界の意味は確実に変るだろう」と考えました
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第3回 17日放送/ 19日再放送
タイトル: 悪はいかに可能か
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 老師との緊張関係
(2) 戦後社会との関係構築の失敗
(3) 認識ではなく行動による状況打破へ
(4) 金閣を焼かなければならぬ
(5) 時間軸の中で自分を捉える
(6) 不滅なものを消滅させる
(7) 悪を可能にする時が来た
(8) もう誰もあてにしない
【展開】
(1) 老師との緊張関係
(2) 戦後社会との関係構築の失敗
(3) 認識ではなく行動による状況打破へ
(4) 金閣を焼かなければならぬ
以上は、既に書きました。
(5) 時間軸の中で自分を捉える
溝口は、戦中は金閣と共に死ぬことを夢見ていて、戦後になると夢破れて呆然とし、時間外に超越した〈観念の金閣〉に縛られ続けていました。
ところが、溝口は金閣を焼くという考えを抱いたことで、未来に目的ができます。同時に、舞鶴に戻って自分のルーツを見定めることができた。その結果、過去の自分、戦後社会を生きている現在の自分、将来悪を犯すことになる未来の自分と、時間軸の中で自分を捉えることができました。そこで初めて、思想が深まっていったのです。
三島は金閣により大きなもの、個人の自由を奪ってしまう絶対的な観念を重ねているのです。そうした存在を否定してこそ戦後社会が始まる。溝口の「金閣を焼く」という決意が重なります。
(6) 不滅なものを消滅させる
溝口は海水浴客向けの旅館に宿を取り、部屋で改めて自問します。なぜ老師ではなく金閣なのか。その結論は、たとえ老師を殺しても、老師的なるものは次々とこの世界に立ち現れる。だから老師一人を滅ぼしても意味がない、というものでした。「人間のようにモータルな(引用者注・死すべき)ものは根絶することができない」が、「金閣のように不滅なものは消滅させることができる」と逆説的に考えたのです。
溝口は決意を胸に秘したまま寺に戻ります。未来が定まったことで、憎しみさえ消え、穏やかな日常を送る溝口。しかしそれは、認識が変化したため世界が変わった、だから金閣は焼かなくていい、ということではありませんでした。
(7) 悪を可能にする時が来た
柏木は溝口に借金の返済を迫っていました。溝口が催促をかわし続けていると、柏木は最後の手段とばかりに、この件を鹿苑寺の老師に持ち込みます。その時老師が溝口に言った「今後こういうことがあったら、もう寺には置かれんから」という言葉が、溝口に放火の決行を促しました。
死んだ鶴川からの手紙を柏木が溝口に見せます。その手紙から分かったことは、彼は事故で亡くなったのではなく、許されない恋に悩み、自ら命を絶っていたという事実です。
柏木は、「俺は友だちが壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらそれを壊すことだ」、そして重ねて言います。「この世界を変貌させるものは認識だ」。溝口は言い返しました。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」。
(8) もう誰もあてにしない
溝口は、老師から警告された放逐を金閣放火決行のタイミングと思い定めていました。その放逐を確定させるため、老師から手渡された大学の授業料を使い果たそうと遊郭に向かいます。そこで初めて、溝口は女と関係を結びます。女は金閣に変貌しませんでした。金閣を焼こうと考え始めたことで、金閣に阻害されずに現実世界と触れ合うことができました。
6月25日、朝鮮動乱が勃発します。「世界が確実に没落し破減するという私の予感はまことになった。急がなければならぬ」。平和で相対的で手ごたえのないニヒリズムの時代は続かない。それは確かだ。しかし、それを世界に頼って自分は認識を変えるだけという生き方は、もう溝口にはできない。彼は、自分自身行動によって世界の変化に参画するという道に突き進みます。
<出典>
平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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