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(K1466) 「老人力がついてきた」 / 「老人力」(2) <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/05/k14662.html
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空襲で金閣と共に滅びることを夢見ていた溝口。しかし、その夢は敗戦と同時にあっけなく潰えます。溝回は、「金閣と私との関係は絶たれたんだ」と確信します。共に滅びるはずだった金閣は焼かれることはなかった
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第2回 10日放送/ 12日再放送
タイトル: 引き裂かれた魂
【テキストの項目】
(1) <心象の金閣>から<観念の金閣>へ
(2) 社会からの再びの疎外
(3) 戦後の擬人化としての老師
(4) 柏木との出会い
(5) ニヒルな柏木、ピュアな鶴川
(6) 南泉斬猫--認識か、行動か
(7) 人生を阻む金閣の幻影
(8) 三島の敗戦体験
(9) いつかお前をわがものに
(10)悪は可能か
【展開】
(1) <心象の金閣>から<観念の金閣>へ
主人公にとっての金閣は、当初〈心象の金閣〉と〈現実の金閣〉に分裂していました。戦争末期にそれが一致したかに思えて彼は陶然としていたわけですが、敗戦を迎え、それは再び分裂してしまったようです。しかて、敗戦の日に対峙した金閣は、〈心象〉も〈現実〉をも超えた存在になりました。金閣という存在が一段階グレードアップするのです。
この金閣のことを、作中では〈観念の金閣〉と呼んでいます。〈観念の金閣〉は、溝口が内界に於いて親しく戯れていた〈心象の金閣〉とは違い、明らかに他者として出現した金閣です。溝口個人の内面的な金閣を超えて、より普遍的な観念として出現した金閣とも言えるでしょう。金閣が予感から脱して、真に絶対性という観念と交わるのはこの時のことでした。
(2) 社会からの再びの疎外
溝口は、吃音のため現実社会から疎外されていました。戦争末期にはそんな社会と一緒に死ぬという一体感を得ていたのですが、結局、日常が復活して以前の疎外された世界が再び始まってしまった。そのことに、溝口はただただ呆然としているのです。金閣は自分から遠ざかってしまった。現実社会からもまた疎外された。溝口は、多くの人々のように「さあこれからは戦後を生きよう」といった決意をうまく抱けないまま、戦後社会に突入してしまったと言えます。
(3) 戦後の擬人化としての老師
敗戦の日、老師が開枕(就寝)前に「南泉斬猫」という公案を選んで講話を行った。
「南泉斬猫」とは次のような内容です。唐代の頃、南泉山の名僧南泉和尚の山寺に一匹の仔猫が現れ、東西両堂の取り合いになった。それを見た和尚は「大衆道ひ得ば即ち救ひ得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せん」と言い、答えがないのを受けて、仔猫を斬って捨てた。その夜、寺に戻ってきた高弟の趙州に和尚がその話をすると、趙州は履いていた履を頭に載せて出て行った。和尚は「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」と言った――。
この難解な公案の老師の解釈は、極素直な、仏教的なものでした。猫は、妄念妄想の根源であり、南泉和尚はそれを非情の実践によって斬り捨て、自他の確執を絶った。しかし趙州は、それとは逆に、人に蔑まれる泥履を限りない寛容によって頭に戴き、菩薩道を実践してみせた。
この小説に於いて老師は、戦後社会そのものの象徴として描かれています。すべての価値観に対して相対的で、絶対的に帰依するものがない。つまり、天皇という絶対者のために多くの人が死ぬという戦中の価値観の対極として、老師という存在は描かれているのです。
(4) 柏木との出会い
大谷大学の予科に進学した溝口は、柏木という同級生と出会います。強度の内飜足という、見る者の目に明らかな障碍を持っている柏木は、強烈な思想の持ち主でした。
内飜足という現実のせいで自分は世界から隔てられている。現実は変えられない。ならば、世界の方を変えればいい。どうやって変えるのか。それは「行動」によってではなく、「認識」によってだ。認識によって世界を変えることで、この生を生きるに値するものに変えるのだ。
(5) ニヒルな柏木、ピュアな鶴川
三島は、柏木と鶴川という溝口の二人の友人を対比的に描いています。純粋でナイーブな心のままに世界と和解できる理想的な人物像を鶴川に託し、世界とうまくコミュニケーションが図れないため、一種のニヒリズムを通じて世界と交渉しようとする存在を柏木にあてはめています。
主人公の溝口は、ありのままで世界とコミュニケーションが図れる鶴川に憧れつつ、自分にはそれが不可能なので、柏木的な方法が自分の生きる術かもしれないと予感している。ただ、柏本の女性へのアタックの仕方は「行動」型で、当たって砕けろ
的な部分があります。
以下は、後日書きます。
(6) 南泉斬猫--認識か、行動か
(7) 人生を阻む金閣の幻影
(8) 三島の敗戦体験
(9) いつかお前をわがものに
(10)悪は可能か
<出典>
平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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