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(K0456) 身元保証人の署名がないと受け入れない <高齢期の住まい>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0456.html
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内村鑑三の半生記である『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』の原題は『HOW I BECAME A CHRISTIAN』。
A)
どんな本か
(1) 武士の子として生まれた明治の青年が西洋とまともにぶつかった魂の遍歴
(2) 内村の決意(これは武士の家に生まれた者の定めです)
B) 出版の経緯
(1) 改宗の理由を英語で書いた
(2) 先ず日本から刊行され、アメリカでも発刊されたが、増刷はされなかった(3) 日露戦争後、欧州諸国で読まれた
(4) 日本語版は40年後に出版された
【展開】
A) どんな本か
(1) 武士の子として生まれた明治の青年が西洋とまともにぶつかった魂の遍歴
明治時代、日本人は西洋文明を支えるキリスト教とは適当に距離をおきながら付き合ってきた。ところが内村という誠実な人間は、これとまともにぶつかり、渡米の経験を経て、ついにはパウロのキリスト教(無教会主義)にまでさかのぼっていったのです(『内村鑑三』(文春学藝ライブラリー)を著した文芸批評家の新保祐司さん)(2) 内村の決意(これは武士の家に生まれた者の定めです)
《私は主を見いだし、主はただちに主の戦場に赴けと命じたのです! これは武士の家に生まれた者の定めです。不平を言わず、ありがたく思いましょう》
B)
出版の経緯
(1) 改宗の理由を英語で書いた
宣教師大会で内村は、改宗の理由を15分以内で話すよう求められる。そんな短時間で魂の重大な変化を語ることは不可能だった。その代わり、誠実につづった魂の遍歴をアメリカで出版しようとしたのだ。(2) 先ず日本から刊行され、アメリカでも発刊されたが、増刷はされなかった
ところが、アメリカの病んだ社会の様子を率直に描いたためか、同国ですんなりと出版されず、まず日本のプロテスタント超教派出版社である警醒社から刊行された。28年のことだ。その翌年にアメリカで500部が発行されるが増刷されることはなかった。
(3) 日露戦争後、欧州諸国で読まれた
ところが日露戦争後、欧州諸国の関心が日本に向けられたことも手伝って、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、フランスなどで相次いで翻訳出版され、ドイツでは1万部以上が発行された。
(4) 日本語版は40年後に出版された
日本語版は初版刊行から40年後の昭和10年に弟子の鈴木俊郎の訳で岩波書店から出版され、3年後に岩波文庫に。文庫版は、一昨年に絶版となるまで78刷約25万部が発行された。
【プロフィル】内村鑑三(うちむら・かんぞう)
万延2(1861)年、高崎藩士の家に生まれる。札幌農学校でキリスト教に入信。生涯を2つのJ(イエスと日本)にささげると誓う。23歳で渡米。アマースト大、ハートフォード神学校で学ぶ。帰国後、第一高等中学校の嘱託教員となるが、教育勅語奉読式で「不敬事件」を起こし辞職。いくつかの学校の教員をへて著述家として立つ。日露戦争では非戦論を唱え、明治33(1900)年に「聖書之研究」を創刊、誌上と集会で無教会主義のキリスト教を説く。晩年はキリスト再臨運動に没頭し、昭和5(1930)年没。
<引用>
内村鑑三「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」 西洋と対峙した魂の遍歴【明治の50冊】(21) 産経新聞(2018/07/23)
(内村鑑三の写真はここから)
(21)内村鑑三「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」 西洋と対峙した魂の遍歴
https://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020011-n1.html
(本の写真はこのサイトから)
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