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2018年5月31日木曜日

(1255)  (16) 松原岩五郎『最暗黒の東京』 / 「明治の50冊」

 
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 松原岩五郎『最暗黒の東京』とは
 

===== 引用はじめ
 松原岩五郎は、明治25年に国民新聞の記者となった直後から、貧民街の実態を伝えるルポルタージュを次々に発表していった。それを集めて出版したのが『最暗黒之(の)東京』だ。
 当時は東京のあちこちに貧民街が存在していた。松原は廃屋のような家々がひしめく土地を渡り歩きながら、住居から家財道具、生計の立て方まで詳細に記述。「四ツ谷鮫ケ橋」(現在の新宿区)の貧民街では残飯屋に就職し、傷んだ飯も売ってしまう商売の内幕を赤裸々に書き記す。
 貧困から抜け出すことの困難さ、社会の理不尽さなどが胸に迫る。刊行間もなく版を重ね、英訳までされたという。ルポルタージュの先駆的存在として、時代を代表する作品になっていく
===== 引用おわり
 


 誰のために、何のために、書かれた本か。
 
===== 引用はじめ
 同書は、貧困の当事者向けではなく、他者、つまり新聞や本の読者による共感や行動を期待してつづられている。最下層も富裕層も同じ人間であるという近代的価値観が前提だ。…
 帝国憲法施行と帝国議会の開設が23年。国のかたちを整え、繁栄の道を進み始める一方で、社会から脱落していく人たち。放置していいのか。松原は訴える。
 《鹿鳴館の仮装舞踏会と貧民社会の庖厨(だいどこ)騒ぎとに軽重のあるはずなし》
===== 引用おわり
 
 
 なんともユーモラスな書き出し。ジャーナリスティックな視点を持ちながら、大上段に構えることなく、正直な気持ちも吐露する。

 
===== 引用はじめ
 《日は暮れぬ、予が暗黒の世界に入るべく踏(ふみ)出しの時刻は来(きた)りぬ》
 飢えに苦しむ貧困層の実態を伝えるために、実際に一緒に生活してみよう。そう考えた筆者は、準備のために数日間、野宿をして食事を抜き、浮浪者を装って、東京・上野の貧民街に身を投じる。
 ところが初日の木賃宿で、熱気や呼吸もままならない悪臭、蚊やシラミ、ノミに悩まされて、まったく眠れないまま一夜を明かし、落ち込んでしまう。
 《実際の世界を見るに及んで忽(たちま)ち戦慄し、彼の微虫一疋(いっぴき)の始末だになすことを得ざりしは、我(わ)れながら実に腑甲斐(ふがい)なき事なりき》
===== 引用おわり
 
 

【プロフィル】松原岩五郎(まつばら・いわごろう)
 慶応2(1866)年、伯耆国(現・鳥取県)生まれ。一時、慶応義塾(現・慶応大)で学んだ。二葉亭四迷、幸田露伴らと交友があり、小説『長者鑑』などを出版後、新聞記者に。明治26年に乾坤一布衣(けんこんいちふい)の筆名で刊行した『最暗黒之東京』で評判を集め、ルポルタージュの開祖などと呼ばれる。日清戦争に従軍記者として派遣された。北海道についての紀行文を記し、「大雪山」の命名者といわれる。昭和10年死去。
 
 

<引用>

松原岩五郎「最暗黒の東京」 / 体験ルポルタージュの元祖 / 再暗黒の東京
【明治の50冊】(16) 産経新聞(2018/05/28)
 
(16)松原岩五郎「最暗黒の東京」 体験ルポルタージュの元祖
https://www.sankei.com/life/news/180521/lif1805210020-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)


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