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2018年5月30日水曜日

(1253) 「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは (中谷加代子さんの場合)

 
      最新投稿情報
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(K0394) 「7割国家」と地方(1)問題点 <少子高齢化>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/05/k03941.html
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 前回に引き続き、「特にあてもなくテレビのチャンネルを変えていて、ぶち当たった」番組の紹介を紹介する。 今回は、重い。
 


 NHK総合 2018527日(日) 午前615(35)
目撃!にっぽん「シリーズ 我が子を奪われて “幸せをめぐる対話”」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077305/index.html
添付写真は、このサイトから転載。
 
===== 引用はじめ
 刑務所や少年院で、罪を犯した人たちを前に被害者の思いを語り続ける人がいる。山口県に住む中谷加代子さん(57)。12年前の夏、長女の歩さん(享年20)を同級生によって殺害された。中谷さんは受刑者たちを前に必ず1つの問いかけを行う。「罪を償うことと幸せを感じることは別物か?」。受刑者たちに問いかける「幸せ」。そこにはどんな意味があるのか。一人の犯罪被害者遺族と、罪を犯した人々の対話を追った。
===== 引用おわり
 


 以下は、ホームページから抜き書きした。
 

===== 引用はじめ
 
 中谷さんは20068月、高等専門学校の5年生だった長女の歩さんを殺された。犯人は同級生だった男子学生。自殺して見つかったため、動機など詳しいことは分かっていない。

 「親なのに、歩がおらんのに、何で私が生きているのか。自分が生きていると感じたとき、本当に嫌だと思った。あの時、歩と一緒に死ねたら楽だったのかもしれません。髪を切りに行った時も、歩と一緒に行ったことのある美容院で、タオルを外せなかった。どこに行っても、寝ても起きても、涙が流れ続けて」


 
 男子学生が自殺して見つかり、捜査結果を聞いた後は「心の内を率直に語り合える友人が彼にいたら、あるいは事件直前の微妙な彼の変化に家族が気づいていたら、事件は起こらなかったのでは」と思うようになったという
 
 「人に苦しい思いをさせる犯罪をなくしたい、と思うようになったんですね」
 
 2012年に中谷さんは30年以上勤めた仕事を辞めた。「犯罪被害者の遺族として何かできないか。自分の体験を警察などで生かしてもらえないか」と考えていた。
 
 今では山口県だけでなく、県外の刑務所でも受刑者と向き合う。中学校や企業に出向き、「命の大切さ」をテーマに話す機会も多い。
 
 「みなさんを許すことができる最後の一人、それはみなさんご自身です。目指すのは、まずはご自身の幸せ。それでいいと思うのです」
 
 中谷さんの語りかけに、「幸せになってもいいんですか」と震える声で返す人がいる。涙を流す受刑者もいる。生きることに罪悪感を抱いている受刑者たちも、事件がなければ、どこにでもいる女性と変わらない、と中谷さんは思うようになった。街で知り合えば、友人になっていたかもしれない、と。
 
 「犯罪被害者遺族が加害者である受刑者に対し、『幸せになって』と言うのはおかしいのかもしれません。でも、自分が自分の幸せを感じることで、他人の幸せを想像することができる。それが、人から言われたのではない、心からの反省を促す。そうした反省の気持ちは、被害者が亡くなっていたとしてもきっと伝わる。そう信じています」
 
===== 引用おわり
「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは


https://news.yahoo.co.jp/feature/710
 
 

 賛同する人もいるが、理解できない人の方が多い。「私は幸せになってはいけないのです」と強く反発する受刑者もいる。
 
 中谷さんの活動は「実に感動的なお話でした」と書きつつも、「世の中には二種類の「殺人犯」が存在します。「矯正可能な殺人犯」と、「矯正不可能な鬼畜」だ」 ~ として、「配信記事を一読して愕然となり、加害者の厳罰化を訴える私としては到底納得できない」と主張する人もいる。
https://blog.goo.ne.jp/tennen-okita-ret-1/e/28d8913a4ad5198ee792e50e5f2e036a
 
 
 中谷さんの場合は、自分の娘を殺した犯人は、すでに自殺してこの世にいない。わが子を殺した犯人がまだ生きているケースもある。遺族にとって、その違いは大きく、「同じ体験をした」とは、言えないのではないか。
 


 一方、私(藤波)は似た体験もしていない。
 何が正しいとか、私からは何も言えない。
 
 中谷さんの言っていることも、行っていることも、私は理解できる。一方、
 私の家族や親しい人が被害を受けたとして、中谷さんのようにできるかというと、自信が無い。もしも、その立場に立たされると、中谷さんに反発するかもしれない。


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