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2018年5月23日水曜日

(1245)  (2)遠かった世界、ゼロから再起を / 上原大祐

 
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http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0386-blog.html
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 前回は、

(1240)  (1)障害はマイナスではなく「武器」 / 上原大祐
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1240-1.html
 

 遠かった世界
 
===== 引用はじめ
 3月、韓国で開かれた平昌パラリンピック。アイスホッケー日本代表の成績は5戦全敗、スコアも大敗が続いた。選手の平均年齢が40歳を超え「オジサン軍団」ともてはやすメディアもあったが、実際には若手が育たず、競技人口も増えない“寒い”事情があった。8年前のバンクーバー大会で銀メダルに輝いた日本代表の栄光は見る影もなかった
===== 引用おわり
 


 日本での競技人口は40人に満たない
 
===== 引用はじめ
 競技人口が増えず、裾野が広がらない理由の一つには、練習環境の厳しさもありますね。特に東京ではリンクの確保が難しく、練習開始時間が夜中の1時、2時、終了が朝の6時、7時なんてこともザラ。
===== 引用おわり
 
 
 ゼロから再起を

 
===== 引用はじめ
 僕はPR活動や体験イベント、地方への展開や大学ホッケー部との連携、特別支援学校を拠点とした普及などをどんどん進めるつもり。現状キープではなく、瀬戸際にあるという現状と課題をしっかり認識し、ゼロからつくり直すつもりでやらねば、次(4年後の北京大会)はなかなか見えてきません。
===== 引用おわり
 


 自身も約3年間、競技から離れた

===== 引用はじめ
 最初のパラリンピック出場だった平成18年トリノ大会では日本チーム最多得点を記録、22年バンクーバー大会準決勝の大一番、カナダ戦では決勝ゴールを決めた。だが、日本はソチ(26年)の出場を逃し、自身も約3年間、競技から離れた
===== 引用おわり

 (平昌大会に向けて)現役に復帰した理由は2つあります。

(1)  東京大会に向け、平昌はメディアが注目する大事な大会になるだろう
(2)  26年から始めたNPO活動で、障害があるたくさんの子供たちや親御さんと知り合い、僕がプレーする姿を見たいというリクエストがあった
 


<出典>



(2)遠かった世界、ゼロから再起を / 平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐
【話の肖像画】 産経新聞(2018/4/11)
 
平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(2)遠かった世界、ゼロから再起を
https://www.sankei.com/life/news/180411/lif1804110022-n1.html
添付写真は、このサイトから転載


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