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(K0372) オーラルフレイル <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0372.html
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第1回 7日放送/ 9日再放送
タイトル: 生きがいとは何かEテレ。
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【今回の目次】
(1) 見えない試練
(2) 生きがいの喪失は誰にでも起こり得る
(3) 生きがいの「発見」
(4) 「生きがい」と「生きがい感」
(5) 感情の扉を開いて読む
(6) 持続の中にある「生きがい」
(7) 生きがいを「与える」ことはできない
(8) 「自分がしたいと思うこと」と「義務」の一致
【展開】
(1) 見えない試練
===== 引用はじめ
生きがいを失った人々は「あちらこちらにいる」けれど、見えない存在である。と神谷は書いています。ここでいう「見えない」には、二重の意味があります。私たちの目に入らないという意味、そして、目には入っても、その人々が「生きがい」を失っている現実が理解されづらい、という意味です。===== 引用おわり
(2) 生きがいの喪失は誰にでも起こり得る
===== 引用はじめ
病、死別、失敗、挫折、過ち、こうしたものはすべて、人間が制御できないものです。つまり、生きがいの喪失は、いつ、どこで、誰にでも、起こり得る。特に病や死は、どんな人にも不可避的に訪れます。それがいつ起こるか、誰も知らないのです。それは、自分にではなく、自分の大切な人に起こるかもしれない。
===== 引用おわり
(3) 生きがいの「発見」
===== 引用はじめ
「生きがい」は、ある大きな出来事があると失われてしまうもののように映る。しかし、それは姿を変じ、生の深みとも言うべき場所で新たに生まれ変わろうとしているというのです。ただ、それを人が「生きがい」として実感できるには時間を要することがある。神谷は、真の「生きがい」とは、人間が「つくる」ものであるより、すでにあって発見すべきものであることが少なくないというのです。
===== 引用おわり
(4) 「生きがい」と「生きがい感」
===== 引用はじめ
この本で神谷は、「生きがい」、すなわち生きる意味と、「生きがい感」、つまり生きる経験を区分し、「生きがい感」の優位を説きます。難しいことではありません。人は生きる意味とは何かを語ることができなくても、生きる意味をしっかりと実感しているというのです。===== 引用おわり
(5) 感情の扉を開いて読む
===== 引用はじめ
『生きがいについて』を読むときに読者は、理性や知性の扉を開くだけではなく、まずは感情の扉を開かなければならない。理性や知性の働きを重視している現代の私たちにとって、感情の扉を開くのが難しいことも、彼女はよく分かっています。===== 引用おわり
(6) 持続の中にある「生きがい」
===== 引用はじめ
ここでいう持続的感覚とは、自分が生きている「今」が、過去とも未来ともつながっているという感覚です。仏教ではそうした時間観を「三世(サンゼ)という言葉で表現しています。今は、過去と未来の双方から照らされて存在している。その導きの糸を発見していくことが「生きがい」を見出していくことだと神谷は考えている。===== 引用おわり
(7) 生きがいを「与える」ことはできない
===== 引用はじめ
「生きがい」を見失った人が何を求めているのかをめぐって、彼女はこう記しています。こういう思いにうちのめされているひとに必要なのは単なる慰めや同情や説教ではない。もちろん金や物だけでも約に立たない。彼はただ、自分の存在はだれかのために、何かのために必要なのだ、ということを強く感じさせるものを求めてあえいでいるのである。
===== 引用おわり
(8) 「自分がしたいと思うこと」と「義務」の一致
===== 引用はじめ
希望と使命が一致するとき、そこに「生きがい」が閃光のように顕現する、というのです。神谷美恵子と同じ年に生まれた哲学者の井筒俊彦は、同質なものを「神聖なる義務」(『神秘哲学』)という言葉で表現しています。ここでの「義務」とは、大いなるものから与えられた一つの大きな、そして固有の意味をもった役割です。===== 引用おわり
<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)添付図は、この本の表紙
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