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2018年5月27日日曜日

(1250) 人間の根底を支えるもの~宗教など / 神谷美恵子『生きがいについて』(4-2) / 100分de名著

 
      最新投稿情報
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(K0391)  生前整理 今を生きるために <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0391.html
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第4回 28日放送/30日再放送
  タイトル: 人間の根底を支えるもの
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【第4回の目次】

(1)  人間、言葉、自然
(2)  神谷恵美子と「変革体験」
(3)  使命感が人を動かす
(4)  血が通ったものを書き遺したい
(5)  支えとしての「変革体験」

(6)  宗教を超えて
(7)  二人の師
(8)  精神化された宗教・内面的な宗教
(9)  いかに生きるかではなく、いかに生かされているか
(10)「私」の問題から「私たち」の問題へ
 

【展開】今回は、(6)(10)
 

(6)     宗教を超えて

 若き日から神谷は無教会主義の信仰者だったが、長島愛生園での経験、『生きがいについて』の執筆を通じて、独自の宗教観にたどり着いた。癌を予感して、
 
===== 引用はじめ
 残る生命をいとおしみ、大切に生きること。夫と子供とそして自分に対して、なし得る事をなしとげて死ぬこと。やっぱり宗教が信仰がよりどころであろう。しかしそれは自分の心の底の真実なるものでありたい。他人や他人の集団にコンフォームしよう[したがおう]とするものであってはならない。(『日記・書簡集』)
===== 引用おわり
 


(7)     二人の師

 神谷には、師事した人物が二人いた。
   内村祐之。内村鑑三の長男であり、東京大学医学部精神科の医師。神谷の医学の師匠
   三谷隆正。内村鑑三の高弟で哲学者。神谷は三谷のことを「先生をこの世で出会ったほとんど唯一の師と思っている」と書き記している。
 


(8)     精神化された宗教・内面的な宗教

===== 引用はじめ
… 精神化された宗教、内面的な宗教は必ずしも既成宗教の形態と必然的な関係はなく、むしろ宗教という形をとる以前の心のありかたを意味するのではないかと思われる。

… 重要なのは、今自分のうちにあり、自分をとりまくこの大きな力のなかで生きていることなのだ、その力が宇宙万物を支えているのだ――。

 「生きがい」とは、「自分をとりまくこの大きな力のなか」に自己を発見していく道程に見出されていくというのです。
===== 引用おわり
 


(9)     いかに生きるかではなく、いかに生かされているか

===== 引用はじめ
… 「他律的な生きかたこそ真の自己としての道であると感じる」と書くように、生かされているときにこそ、真の自己がその姿を顕にする、と感じている。
 さらに、「生きがい」は、懸命に探し求めるという自力の営みからだけでなく、生かされている自分の発見から見出される。神谷は「私はいかにして生きるか」から「私はいかに生かされているか」への次元の転換が起きるとき、「生きがい」はそこに静かに姿を現すというのです。
===== 引用おわり
 


(10)    「私」の問題から「私たち」の問題へ

===== 引用はじめ
 一個の私でありながら同時に、人々のなかの私であるとき、人に「生きがい」を見る眼が開かれていく。そして、生きることが、私の営みでありながら、同時に「私たち」の営みであることを知る。
===== 引用おわり
 


<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載




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