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2017年7月2日日曜日

(921) はじめに / 『高慢と偏見』ジェイン・オースティン(0)


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 私は、そもそも、小説はあまり読まない。なぜなら、それは本当のことではなく、作り事だからである。特に恋愛小説はほとんど読まない。なぜなら、恋愛にあまり関心がないからである。でも、テキストを見て、これは面白そうだなと思った。


 オースティンは、好き嫌いがはっきり分かれる作家らしい。オースティンが嫌いなのは、シャーロット・ブロンテ、マーク・トゥエイン、D・H・ローレンスなど。オースティンが好きなのは、ウォルター・スコット、夏目漱石など(P.101)

 オースティンの小説はしばしば、「制限」の文学であると言われる。それは、自分がよく知っていることしか書かない、という意味での制限だが、無駄なことを省くという意味で、非常に抑制の利いた文学であるとも言える(P.26)。この「狭さ」を良いとする人もいるし、悪いとする人もいる。

 オースティンの小説では大事件は起こらない。初期の批評家のなかには、オースティンを「女々しい家庭的な世界に自らを閉ざそうとする小規模な作家」として軽視する向きもあった(P.101)。オースティンは「田舎の村の三、四軒が小説の格好の題材」と言う。ごく限られた身近な材料を使っただけでも、人間をじゅうぶんに深く描けるというのが彼女の信念であり、そのやり方を貫いたのが彼女の創作方法だった(P.105-106)

 夏目漱石は、オースティンの写実力を絶賛した。「Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技神に入るの点において、優に鬚眉の大家を凌ぐ。余いふ。Austenを賞翫する能わざる者は遂に写実の妙味を解し能わざるものなりと」(P.103)。泰斗とは、ある分野における最高の権威のこと。「オースティンの深さを理解する人には、平坦な写実のなかに潜んでいる深さがわかるだろう」(P.104)

 オースティンは、登場人物一人一人を描き分けている。「全知の語り手が登場人物について簡単にコメントし、そのあと本人の言動がその寸評をありありと体現する、という形式」(P.46)で描かれている。小説でしか表現しえないものがあると、(小説をあまり読まない)私も認める。
 

 指南役の廣野によれば、オースティンの小説は、いわゆるイギリス的特質が顕著な文学である。「イギリス的特質」とは、「人間の性格の特徴や、日常における人間関係の洞察に重点を置き、対象から距離を隔てて客観的に、皮肉な笑いを込めて眺めるという風刺の精神がある」ことである(P.4-5)
 

 「認識の歪み」というキーワードが、私には興味深かった。

===== 引用はじめ (P.33)
 人が成長するにつれて形成される、物事の根本的な捉え方や、信念の土台となるような考えのことを、精神医学の一領域である認知療法では、<スキーマ>と呼びます。また<スキーマ>に基づいて無自覚のうちに生じてくる脳内メッセージ(自動思考)によって、不合理な考えや否定的な感じ方がもたされることを<認知の歪み>といいます。
===== 引用おわり

===== 引用はじめ (P.7)
 さまざまな登場人物たちは、いかに、そしてなぜ、ものの見方が歪んでしまうのか。果たして、彼らはその「歪み」を克服することができるのか。今回は、登場人物たちの会話や心理をじっくり読み解きながら、オースティンが恋愛をとおして描こうとした人間の真の姿に迫ってみたいと思います。
==== 引用おわり

 高慢、偏見、虚栄心、いずれも「認識の歪み」である。そして、「恋愛とは、人生で遭遇する出来事のなかでも、とりわけものの見方が揺れ動いたり、歪んだりしやすい現象です」(P.6-7)

 
出典:
廣野由美子、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』~虚栄心は乗り越えられるか~、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/7)
添付:「ジェイン・オースティン」

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